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          江戸川のほとりにて科学啓蒙作家の塾「田井塾」として52年

   「田井塾」実験:発想の転換〜泉のささやき〜

         夢実践:発想の転換〜泉のささやき〜

                  
              

<・・・お願い:この文章は公開しながら少しずつ書き進めています。かなり書き直しが入っています。お許しください。・・・>

・・・・・間 奏・・・・・

●モーツアルト●・・・・・「フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299」
           ♪・・・第2楽章:アンダンティーノ・・・♪


●●● 
 ●●●
  アインシュタインの理論的予言である「重力波」が現実に存在することが実証されましたことを心から慶び申し上げます。(2016.2.11)


●アインシュタインがリンカーン・バーネットに宛てた手紙の中に記載されていた式を利用することによって、物体の運動速度がゼロの時、式はニュートンの古典力学の法則に帰着し、「重力質量」=「慣性質量」の関係が成り立ち、物体の速度が光の速度に近付くにしたがって、相対性理論の法則が中心となる現象が発生し、「慣性質量」>「重力質量」の関係が成り立っていることが分かりました。
 それではまた元に戻りたいと思います。問題は「古典力学の世界では『慣性質量』と『重力質量』が等しいのに、なぜ物体は移動するのか」ということでした。この問題を考えるために、もう一度エレベーターを使った「思考実験」をしてみましょう。
 今宇宙空間にはビル10階分の高さほどのエレベーターがあります。これまでたびたびお話していることですが、1階の高さを3mとすると、このエレベーターは約30m程の高さとなります。ここでの実験でも、スペースシャトルには地球上と条件を同じにするために毎秒毎秒9.8mの加速度でエレベーターを引っ張ってもらいましょう。ただし、ここではシャトルがエレベーターを引っ張る方向、つまり、エレベーターの床から天井に向かう方向が重力の方向です。地球上ではエレベーターの天井から床に向かう方向が重力の方向ですから、宇宙空間での実験ではこの点が反対になっていることに注意してください。
 それでは、実験の準備に取り掛かりましょう。まず、エレベーターの天井に適当な長さのピアノ線を結び、その先端にバネばかりをつなぎます。そして、このバネばかりの床に面した側の端に今回の実験に使用する物体Aをつなぎます。現在はシャトルはまだ発進していませんので、物体Aはエレベーターの中で「無重力状態」でプカプカ浮いています。もちろん、バネばかりの針は0kgを指しています。これはこの物体Aの「重力質量」が「現在」は0kgであることを意味しています。なぜなら、うっかりしていましたが、それは、バネばかりの目盛が地球上で「重力質量」を測定するように記されているからです。
 さて、次の段階に入りましょう。実は、ここに用意した物体Aは上述したバネばかりを使って地表で測定した時10kgありましたので、言うまでもなく、「重力質量」は10kgです。このことを頭に置いていただいて、いよいよ「思考実験」の開始です。スペースシャトルは地球の重力加速度毎秒毎秒9.8mで発進しました。
 まず、ピアノ線がエレベーターの壁と平行に真っ直ぐに伸び、それから、目盛0を指していたバネばかりがピアノ線の延長線上にピーンと張られ、バネがギリギリと伸びて(注意:ここは真空中ですのでバネが延びる時のギリギリという音に限らず、音という音はまったく聞こえませんのでご注意ください)、針が指す目盛が0.5,1.0,1.5,2.0,2.5,・・・、と変化していきました。さて、ここで問題です。これから先、針が指す目盛はどのように変化していくでしょうか。もちろん、針は3.0,3.5,・・・とさらに大きな数を指して変化していきます。この時、物体Aはまだ「静止状態」になっていますが、エレベーターの壁に対しては進行方向と反対の方向に少しずつ移動しているように見えます。そして、ついに10kgの値を指したとき、さて、これから先、物体はどのように運動するでしょうか。
 針が指し示す数字はこれ以上大きくはなりません。なぜなら、物体Aをこれまでの「静止状態」に保ち続けようとする「慣性質量」も10kgを越えて大きくなることはないからです。物体Aに作用する「重力」=「重力質量」×重力加速度=10×9.8=98(N)と反作用的に作用する「慣性力」=「慣性質量」×(-重力加速度)=10×(-9.8)=-98(N)が釣り合って、物体に作用する力が「見掛け上」ゼロになっているからです。つまり、この段階で物体Aはエレベーターの壁に対しても完全に「静止」し、実は、これで重力場中における「無重力状態」と同じ現象が発生しているのです。
 ここで今度は地球上を実験の場として、シャトル内でのこれまでの現象を再現してみましょう。まず、天井から垂らしたヒモをビニール袋の口の部分に結び、次に、袋の中に一定の速さで砂を流し込みます。全体の「重力質量」が10kgになるまでの過程ですが、ここでの状況をシャトルに接続したエレベーター内での状況に対応させてみましょう。すると、「慣性の法則」によって、物体の側でプカプカ浮いている観測者に対しては物体は「静止」し、エレベーターの壁に対しては地球の重力加速度で発進したシャトルの進行方向と反対の方向にゆっくりと移動している場面が思い出されます。次に、ビニール袋の「重力質量」が10kgになってヒモが切れた瞬間の場面を対応させてみましょう。エレベーター内では物体に接続しているバネばかりの目盛が10kgを示した瞬間に物体は、シャトルの進行方向にシャトルの重力加速度で移動を開始し、つまり、空間にプカプカ浮いている観測者から遠ざかり始め、そうでありながら、エレベーターの壁に対しては「静止」している状況が思い出されます。

【お願い】現在「えどがわ産業ナビ」内の「心の泉:彼方に像を求めて」に文章を発表することによって、これから先の構想を練っております。しばらくお待ちくださいますようお願い申し上げます。(9/20)

 



【お詫び】誠に恐れ入りますが、内容の裏付けを取りながら文章を書き進めています。このため、かなり進みが遅くなっております。どうかお許しくださいますように。(5/2),(5/8),(5/14),(5/18),(5/19),(5/22),(5/29),(6/9),(6/17),(6/25),(7/11),(7/19),(7/25),(7/31),(8/11),(9/8),(9/21),(9/29),(10/8),(10/21),(11/6),(11/18),(12/10),(12/21),(1/1),(1/25),(2/16),(3/4),(3/25),(4/23)



●これまでの考察によって、少なくとも「古典力学」の世界では「慣性質量」と「重力質量」が等しいことに納得しました。しかし、すると、ここでさらに疑問が出て来ます。それはこれらの質量が等しいのに、なぜ物体は移動するのか、ということです。
 この問題を考えるためのヒントを求めて、もう一度、「重力質量」が「慣性質量」より大きい場合を考えてみましょう。地球上で空気抵抗等が一切ない状態で物体の落下実験をしている場合ですと、これらの質量の差が重力となって物体に作用するので、同じ高さから異なる「重力質量」の物体を自然落下させると、同時に地表に着地しません。それでは、反対に「慣性質量」が「重力質量」より大きい場合はどうでしょう。この場合、たとえば、ある高さからやはり異なる「重力質量」の物体を落下させるとき、自然落下ではなく一定の初速度を与えて落下させてやると、今度はこれらの質量の差がブレーキとなって、物体の落下速度がどんどん小さくなり、やはり同時に地表に着地しません。このように、いずれにせよ、異なる物体は同時に着地できないのです。
 ここで、上記後者の「慣性質量」が「重力質量」より大きい場合ですが、このようなケースが果たしてあるのかという問題をここで考えてみましょう。
 たとえば、ミクロの粒子につねにエネルギーを加え続けてまいりましょう。すると、粒子の速度がどんどん大きくなっていきます。この実験をこのまま続けて行った場合、粒子の速度はいつか必ず「光の速度」を超えることになります。実は、もし、このような粒子を実験的に一個発見しただけ、たったそれだけで、アインシュタインの「相対性理論」に理論的に矛盾が発生したことになるのです。しかし、実際はそうではありません。なぜでしょう。
 アインシュタインが発見したとても美しい公式として次のような式があります。すなわち、

 E=mc
2

 ただし、Eは粒子に加えられたエネルギーで、mはその時に発生する質量、cは光の速度です。これを読んで、「その時に発生する質量だって?」と思われた方もいらっしゃるかも知れません。そうなのです。実は、エネルギーと質量は「等価」の関係にあるのです。つまり、エネルギーを加え続けると言うことは、質量が増え続けることを意味しているのです。これによって反対に粒子の速度にブレーキが掛かり、このためスピードが遅くなり、粒子は「光の速度」を超えられないわけです。
 ここで、上式をさらに発展させた、アインシュタインが1948年6月19日にリンカーン・バーネットに宛てて書いた手紙の中の次の式を引用しましょう。

 M=E/c
2=m/{1-(v/c)2(1/2).

 ここではアインシュタインはMを「動いている物体の質量」、mを「静止質量」と呼んでいます。実を言いますと、この手紙の中でアインシュタインは、「動いている物体の質量Mは明確に定義された概念ではないので、導入しないのがよいと思います。『静止質量』m以外の質量概念は持ち込まない方が賢明です。Mを導入せずに、動いている物体の運動量とエネルギーの表式に触れるのがよいでしょう」(大槻義彦責任編集『間違いだらけの物理概念』1993年、丸善)と述べているのです。
 しかし、「静止質量」とは相対論的力学で速度0の場合の質量のことですから、したがって、これは古典力学における質量と同じものです。ですから、ここでこの質量に私たちがこれまで使って来ている「重力質量」を対応させて議論を展開してみたいと思います。
 まず上式右辺の分母の式に注目してみましょう。この式の中のvは物体の速度です。これを0にしてみましょう。すると、これは「慣性座標系」の中で、ちょうど「等速直線運動」している電車の中で「静止」している物体の「質量(重力質量)」を測定しているのと同じ状況が再現されていることになります。そして、この場合、
 M=m
の関係が成り立っていることが分かります。ここで、アインシュタインが表現した「動いている物体の質量」Mを「慣性質量」と言い換えてみましょう。すると、古典力学の世界では「慣性質量」と「重力質量」が等しいと言えることがこれで分かります。
 それでは次に、物体が光の速度の80%程の速度で運動している場合を考えてみましょう。上記の式の右辺の分母の式に注目してみましょう。この式のvにv=0.8cを代入し計算すると、
 {1-(v/c)
2(1/2)={1-(0.8c/c)2(1/2)
={1-(0.8)
2(1/2)={1-0.64}(1/2)
=(0.36)
(1/2)=0.6.
 したがって、アインシュタインがバーネットに宛てて書いた手紙の中の式は
 M=m/0.6≒1.67m.
 これより、物体が光の速度の80%の速度で運動しているとき、物体の「慣性質量」が「重力質量」の約1.67倍になっていることが分かります。
 簡単な考察をしてみましたが、以上により、ニュートンの「古典力学」の世界(v=0の時)では「慣性質量」と「重力質量」が等しく、物体の速度が光の速度に近付くにつれて(v→cの時)、ニュートン力学の法則は破綻し、「相対論的」な法則が支配する世界に移行し、結果として、「慣性質量」>「重力質量」の関係が成り立っていることが分かります

(3/6),(3/9),(3/20),(3/22),(3/27),(3/30).(4/4),(4/7)(4/9),(4/13),(4/18),(4/23),(4/29)


●前回の思考実験によって「慣性質量」と「重力質量」が等しいことが分かりました。そして、ここでまた問題が出て来ました。それは、これらの質量がどうして等しくなければならないのかということです。
 ここで物体Aの「重力質量」をm(kg)、「慣性質量」をM(kg)とし、m>Mの場合を考えてみましょう。シャトルが地球の重力加速度g(m/秒2)でエレベーターを引っ張っているとすると、エレベーターの天井とヒモで結んでいる物体Aに対してシャトルの進行方向に「重力」mg(N)の力が加わり、と同時に、「慣性の法則」にしたがって、物体Aに対しては「その瞬間その瞬間の運動状態を維持しようとする力」である「慣性力」(-Mg)(N)がシャトルの進行方向と反対方向に加わっています。したがって、これらの力の和をF(N)とすると、次の関係式が成り立ちます。

 F=mg+(-Mg)=(m-M)g.

 これは何を意味しているのでしょう。そうです。「重力質量」と「慣性質量」の差に比例する力が「重力」となって物体Aに作用しているということです。これは「ピサの斜塔」で物体の落下実験をした場合、物体が加速度運動をしていることになりますから、これらの差が一致しない時は、2つの物体が同時に「着地」しないことを意味しているのです。したがって、m>Mが成り立たないことが分かります。
 それでは、m<Mの場合、つまり「重力質量」が「慣性質量」より小さい場合はどうでしょう。ここでもまた同じことを繰り返して恐縮ですが、簡単におさらいをさせていただくと、「慣性質量」とは物体に力を加えた時に、その物体の固有の性質として現れる運動の「しにくさ」を定量的に表したものです。ニュートンの「第二法則」により、物体に力Fを作用した時に発生する加速度をaとすると、kを比例定数として次の関係式が成り立ちます。

 F=ka.
 
 つまり、この式の中の比例定数kが運動の「しにくさ」を定量的に表したもので、私たちが一般に「慣性質量」と呼んでいるものなのです。
 ここで注意しなければならないことがあります。それはFは物体に作用する「外力」だということです。つまり、「慣性力」は「外力」が作用した結果として発生するということです。以上のことを頭の隅に置いて次の実験に入ることになりますが、もちろん、はじめは「重力質量」m(kg)の物体がエレベーターの中でプカプカ浮いた「静止状態」にあるものとします。また、地球の重力加速度g(m/秒2)でシャトルが発進したとき、荷重がmg(N)を超えた場合に自然に切れてしまうヒモの一端でこの物体を結び、もう一端をエレベーターの天井に結んでいるものとします。それでは、いよいよ実験開始です。
 シャトルは重力加速度gで発進しました。さて、実験で使っているヒモはどうなったでしょうか。言うまでもなく、ヒモは切れ、物体はそれまで通りの位置で「静止状態」になっています。なぜでしょう。物体に対して「外力(重力)」mg(N)が作用したとき、物体をこれまでの「静止状態」を持続させようとする「慣性力」Mg(N)が発生しているからです。ここではm(「重力質量」)<M(「慣性質量」)の関係によって、mg(「重力」)<Mg(「慣性力」)の関係が成り立っていることに注意してください。さて、この現象をどのように解釈したらいいでしょうか。
 この問題を考えるために、実験の場所を地球上に移してみましょう。エレベーターの中での実験を地球上での実験に対応させると、エレベーターの中で物体が「静止状態」にある状態は、地上では観測者が物体が落下しないように手で支えている状態に当ります。次に、シャトルが地球の重力加速度gで発進する状態ですが、これは観測者が物体を手から放す状態に当たります。そしていよいよ最後の状態です。物体を結んでいるヒモが切れて、物体がそのまま「静止状態」をし続ける状態ですが、さて、これはどのような状態と一致するでしょうか。そうなのです。物体を手から放しても、物体は地面に向かって落下せず、手から離れた瞬間の位置にそのまま止まった状態になっているのです。
 しかし、ここで疑問が出て来ます。もちろん、「果たしてそうだろうか」と、どうしても納得出来ない考えです。もう一度、エレベーターの中に戻ってみましょう。ここで問題になっているのは、m(「重力質量」)<M(「慣性質量」)、つまりmg(「重力」)<Mg(「慣性力」)によって、エレベーターの天井と物体とを結んでいるヒモが切れてしまい、物体がそのままその位置で「静止」していることです。ただし、ヒモはシャトルの発進によって重力(mg)を超える荷重が加わった瞬間に切れるようになっているのでした。
 シャトルが地球の重力加速度gで発進した瞬間に物体に結んでいるヒモが切れ、物体はそのまま「静止」しているのですが、良く考えると、「観測者」がこの物体を基準としてこの運動を観測しているから「静止」しているのであって、それでは、現在実験を行っている場所であるエレベーターを基準として物体を観測するとどうでしょうか。そうです。物体はエレベーターの進行方向と反対の方向、つまり、地上での実験に対応させると、物体を手から放した瞬間に、重力の方向と逆の「地上から離れる上向きの方向」に運動していることになるのです。
 現実にはこのような現象はありませんから、したがって、m<Mは成り立ちません。一方、m>Mも初めの部分での考察で成り立たないことは明らかですから、したがって、以上の考察から、m=M、つまり、「重力質量」と「慣性質量」が等しいことが分かります。ただし、今の段階では「少なくとも古典力学の世界では」と言う言葉を添えさせていただきます。(2016.3.6)

(1/20),(1/24),(1/28),(1/30),(2/6),(2/8),(2/11),(2/13),(2/14),(2/20),(2/22),(2/25),(2/27),(2/28),(3/1),
(3/6)


私たちは現在「慣性質量」と「重力質量」が同じものかどうかを明らかにするために、宇宙空間で組み立てた30階建のビルに相当する高さのエレベーターをスペースシャトルに引っ張ってもらって「思考実験」をしています。そして今この実験過程で、アインシュタインの発見した「等価原理」という概念について考えています。
 もう一度確認しましょう。たとえば、体重計と観測者がエレベーターの床の所でプカプカ浮いた状態のままで、シャトルに地球の重力加速度で発進してもらいます。すると「思考実験」的にしばらく経って、体重計は床の上にきちんと置かれ、観測者も床の上にちゃんと立つことが出来ます。観測者がよろけずに立ったままでいることが出来るようになりましたら、体重計に上がって体重を測ってもらいましょう。観測者が地上で宇宙服のままで体重を測ったとき、体重は75kgであったとすると、さて、このエレベーターの中で測ったとき、数値は何kgを指しているでしょう。そうです、75kgです。
 このことから、地球の重力加速度とシャトルが人工的に作りだした加速度が同じ性質を持っていることが分かります。これで私たちは、アインシュタインが「重力加速度と人工的に作りだした加速度は同等な性質を持っている」ことを発見し「等価原理」と名付けたところの法則を「思考実験」的に確かめることが出来たわけです。
 それではシャトルに地球の重力加速度でそのまま直線運動を続けてもらい、実験の準備が出来たところで、天井に据え付けているボックスのスイッチを遠隔操作で入れ、そして箱のふたを開けることにしましょう。この時、「重力質量」1gの羽毛と1kgの鉄球が外に出て来ますので、心の「目」で確認してください。もし、心に見えましたら、これだけで、実験の第一段階は成功です。せっかくですから、このまま皆さんの心の「目」に協力願って、そのまま羽毛と鉄球の運動を観察してまいりましょう。
 まず、観測者に「私は今静止している床の上に立っている」と自分に言い聞かせてもらい、それから羽毛と鉄球の運動を観察してもらいましょう。さて、この時、観測者は何と言うでしょう。そうです。「羽毛と鉄球が落下して来ている」と言います。それでは、この時、皆さんの心の「目」からすると、これらはどのような状態にあるでしょうか。そうです。「これらの物体がまったく同じ位置で並んだままの状態にある」のです。
 もう一度確認しましょう。床に立っている観測者の立場からすると、二つの物体は落下し続けています。また、心の「目」で物体を観測している皆さんの立場からすると、これらの物体はつねに同じ位置に並んでいます。このままこの状態を続けたら、最後にどのようなことが分かるでしょうか。それは、実験を開始して2.5秒後に、1gの羽毛と1kgの鉄球が床に同時に「着地」するということです。これでガリレイが「ピサの斜塔」で行った実験を再現することが出来ました。
 もちろん、物体がエレベーターの天井の所にある時に持っている位置エネルギーが、物体が床に衝突する瞬間に全部運動エネルギーに変わったとすると、皆さんもご存じの次の関係式が成り立ちます。

   mv
2/2=mgh.
 
 ただし、mは物体の重力質量、vは物体が床に達した瞬間の速度、hは床から天井までの距離、gは重力加速度です。
 この式をvについて解くと、次のようになります。

   v=(2gh)
1/2

 この式から明らかなように、ここには「重力質量」mが入っていません。つまり、この式は物体が落下している時は、どのような物体であれ速度は重力質量に関係なくすべて同じであることを意味しているのです。ガリレイの「ピサの斜塔」での実験でも、もし空気抵抗がなければ、どのような物体であれすべて同時に着地していることがこれで分かります。ですから、エレベーターをわざわざ使って、宇宙空間でガリレイの実験を再現する必要などまったくありませんでした。
 と、言いたいところですが、問題があります。それは「運動の過程で、なぜ質量mが消えてしまうのか」、これです。この問題を考えるために、観測者にもう一度体重計に乗ってもらうことにしましょう。そしてあの時に得られた数値75kgが何を意味しているのか、じっくり考えてみたいと思います。
 この問題を考えるために、実験過程を順を追って整理してみましょう。まず、スペースシャトルに地球の重力加速度で発進して、エレベーターを引っ張ってもらいました。この場合、地球の重力に相当する力はどちらを向いているでしょうか。ここでは、シャトルの進行方向が地球の重力の方向、つまり重力加速度の方向です。とすると、エレベーターの床に立って「静止」している観測者の立場から観測される「羽毛と鉄球の落下運動」はいったいどのような運動と解釈すべきでしょうか。
 まず、重力加速度の方向であるシャトルの進行方向を+(プラス)としましょう。すると、これら二つの物体は-(マイナス)の重力加速度を持っていることになります。このことから、エレベーターの床に立って「静止」している観測者からすると、これらの物体がマイナスの重力加速度で「落下」して来ていることが分かります。しかも、この加速度は+の加速度が発生した結果として観測されているのです。
 このことを前提に次の実験に入りたいと思いますが、その前にまず確認しなければならないことがあります。それは、シャトルが地球の重力加速度で発進する前は、これら二つの物体とエレベーターは互いに「静止状態」にあるということです。このことを確認しましたら、さっそく実験の準備に取り掛かりましょう。とは言いましても、バネばかりの重りを測る部分の方に重力質量1kgの鉄球を固定し、バネばかりの反対側の手で握る部分をひもでしっかり結んで、それをエレベーターの天井から垂れているワイヤーにつなぐだけです。これで準備は完了です。
 それではいよいよ実験に入りましょう。シャトルに地球の重力加速度で発進してもらい、バネばかりに結んでいるひもがピンと張ったところで、バネばかりを手から放し、バネばかりの目盛の変化を観測してみましょう。さて、目盛はどのように変化するでしょうか。
 実は、シャトルが地球の重力加速度で直線運動を開始し、バネばかりのバネが伸び始めても、鉄球はほんの少しの間だけですが、そのままその位置に「静止」した状態にあります。なぜでしょう。それはシャトルがバネばかりを介して鉄球を引っ張る方向に力を加えると、「慣性の法則」によって鉄球にそれまでの「静止状態」を維持し続けようとする力が「反作用的」に発生するからです。つまり、シャトルの運動によって発生する鉄球に及ぼす力を「重力」とすると、これによって鉄球をそのまま静止した状態に保とうとする「慣性力」が発生しているからです。
 このままバネばかりの数値の変化に注目してまいりましょう。すると、何と、数値がある値に達した瞬間、鉄球はその値を維持したままシャトルの進行方向に移動を開始するではありませんか。さて、この時、バネばかりはいくらの数値を指しているでしょうか。そうです、1kgです。それでは、この値は何を意味しているのでしょうか。
 鉄球の重力質量は1kg、シャトルによって人工的に発生した重力加速度は毎秒毎秒9.8mですから、したがって、鉄球に作用する重力F(N)は、

    F=1×9.8=9.8(N).

 一方、鉄球にこの力が作用している時に「慣性の法則」によって、鉄球をそれまでの「静止状態」に維持しようとする力、つまり「慣性力」F’(N)を、鉄球が内的な性質として持っている「慣性質量」mと「重力」Fが作用する際に鉄球に発生する「人工的加速度」(-9.8m/秒2)を使って表すと、

    F’=m×(-9.8)=-9.8m(N).

 鉄球がバネばかりを介してシャトルの進行方向に移動を開始したということは、鉄球に加えられる外力がベクトル的に0になったためですから、したがって、

   F+F’=9.8-9.8m=0.

 これを計算するとm=1kgとなります。バネばかりに示されていた1kgは鉄球が潜在的に持っている「慣性質量」だったのです。以上のことから、「重力質量」と「慣性質量」が等しいことが分かります。つまり、観測者がエレベーターの中で測って得られた数値75kgは「慣性質量」であったわけです。
 それでは、どうして「重力質量」と「慣性質量」は等しくなければならないのでしょう。次はこの問題を考えてみましょう。(2016.1.20)

(12/11),(12/13),(12/20),(12/21),(12/23),(12/25),(12/27),(1/1),(1/2),(1/3),(1/9),(1/12),(1/16),(1/20)


前回「慣性質量」を実験的に求める方法を考えてみました。しかし、ここで問題が発生します。まず、「重力質量」ですが、これは先にお話しましたように、「国際キログラム原器」を使って厳密に定めることが出来ます。それでは「慣性質量」はどうでしょう。これは、たとえば、「重力質量」1kgの物体と未知の質量の物体を用意し、両方の物体に同じ力を加えた時に発生する加速度の値を求め、これを使って計算することによって与えられます。
 この実験を同じ場所で行う場合は、物体に加える力を数値化せず、一般にF(N)として求めることが出来ます。この場合は、実験で得られる加速度と「重力質量」1kgとをかけ算して得られる力が「結果的に作用していた」と判断する限りにおいて少なくとも問題はありません。それでは、「重力質量」1kgの物体を上野の国立科学博物館にセットし、未知の質量の物体を鹿児島県の種子島宇宙センターにセットして、それぞれの場所でそれぞれの物体にやはり任意の力F(N)を加え、この時の加速度を求め、この値を使って未知の物体の「慣性質量」を求める場合はどうでしょう。上でかなり回りくどい表現をしましたが、実は、私たちがうっかり見過ごしがちな問題がここに隠されています。
 たとえば、バネばかりを使って厳密にF=1(N)として両方の物体に力を加えました。バネばかりのメモリを見ると確かに1(N)になっています。しかし、物体には地球の自転による「遠心力」など、測定地点が固有に持っている厳密に決定することの難しい力も作用しているのです。つまり、メモリ的に1(N)になっていたとしても、正確にはそれ以上の力が加わっているわけで(もっと細かく言うと、バネばかりを引く力の方向とその地点の重力の方向がベクトル的に正確に垂直になっていない可能性も考えられます)、これで、「慣性質量」を正確に導くことがいかに難しいかお分かりいただけたと思います。
 それでは、これら二つの質量の問題、つまり、これらが同じなのか、異なるのかをどのようにして調べたらいいのでしょう。ここでどうしても必要になるのがアインシュタインの「思考実験」です。
 アインシュタインのよく知られた「思考実験」としてエレベーターを使った実験があります。まず、スペースシャトルで材料を宇宙空間に運び、それを組み立てて10階建てのビルの高さのエレベーターを作ることにしましょう。もちろん、これは実験のためのものですから、単純にエレベーターの形になっていればそれで十分であることは言うまでもありません。
 ビル1階分の高さを3mとして、10階ですと30mとなります。これをスペースシャトルに地球の重力加速度(9.8m/秒2)で引っ張って貰うことにすると、宇宙空間にプカプカ浮いている「観測者」の前をこれが完全に通り過ぎるまでに掛かる時間は、これまでと同様、次の式を使うことによって求められます。ただし、初速度は「観測者」を基準としてゼロとしています。

  X=(1/2)gt2.

 この式にX=30,g=9.8を代入すると、t2=6.1.ここで平方根を求めるとt=2.5秒。このことから、30階建てのビルの高さでスペースシャトルを使って地球の重力加速度を再現した環境の中で実験をするとなると、一回の実験時間が約2.5秒くらいしかないことが分かります。
 もちろん、これくらいの時間でも繰り返し実験できれば問題ないのですが、しかし、真面目に考えると残念ながらやはり問題が出て来てしまいます。たとえば、この実験では「観測者」が宇宙空間にプカプカ浮いている前をエレベーターが通っていますが、2.5秒後にシャトルが推進力をゼロにしてエレベーターを引っ張るのを止めても、エレベーターもシャトルもその場に停止するのではなく、その瞬間に「観測者」を基準にした速度、つまり、毎秒約24.5mの速度で、言い換えると時速約88.2kmのスピードで観測者からどんどん遠ざかって行ってしまうのです。つまり、「観測者」は2.5秒後には宇宙空間に一人取り残されてしまうのです。
 それでは、「観測者」にエレベーターの中に入ってもらって実験をすることにしたらどうでしょう。これですと、「無重力状態」でプカプカ浮いていても、まったく心配がいりません。と言いたいところですが、ここにも問題があります。たとえば、エレベーターがシャトルに引っ張られて進む方向の側の壁を「天井」とし、この側でプカプカ浮いているとしましょう。突然、シャトルが地球の重力加速度でこれを引っ張り始めたとしましょう。さて、何が起こるでしょう。実は、「観測者」はその場で相変わらずプカプカ状態ですが、しかし、「天井」と反対側の「床」に相当する壁が「観測者」にどんどん近付いて来ます。そして、何と言うことでしょう。2.5秒後には「床」が「観測者」にぶつかり、しかもその瞬間に、ちょうど「観測者」が地球上で10階建てのビルの屋上から飛び降りて地面に激突した瞬間に受ける衝撃と同じ衝撃を受けることになるのです。
 いかがですか。たったこれだけお話しただけでも、宇宙空間で実際に実験をするとなるといかに大変なことかお分かりいただけたことでしょう。とは言いましても、もう一度確認しますが、私たちがこれからする実験は「思考実験」といって、頭の中での実験です。ですから、これからエレベーターの中で実験をする時は「観測者」はどんな事故に遭うこともなく無事に実験を続けられているものと仮定したいと思います。
 なお、シャトルが引っ張る側の壁を「天井」としましたが、これからもこの壁をそのように呼び、またそこからはるか下の壁もやはり同様に「床」と呼びたいと思います。それではさっそくこの「床」の側に体重計を置き、そしてシャトルに地球の重力加速度(9.8m/秒2)でエレベーターを引っ張ってもらいましょう。いよいよ実験の開始です。
 シャトルが地球の重力加速度で直線運動を始めると、それまで床の側でプカプカ浮いていた体重計は床に吸い付くようにピタッとはり付き、観測者も寝そべるように体全体が床に押し付けられます。しばらく経って観測者の態勢が整って、その場で立てるようになったら、側にある体重計で、もちろん宇宙服を着たままで、体重を測ってもらいましょう。うっかりしていましたが、出発前に宇宙服を着たままで測ったとき、彼の体重は75kgありました。さて、今このエレベーターの中では体重計はいくらの数値を指しているでしょう。そうですね。75kgです。
 もしかすると、「こんな分かり切ったことのために、わざわざシャトルまで使って実験する必要がどこにあるのか」とおっしゃるかも知れません。しかし、この実験で私たちはとても大切な概念を手にしているのです。それは、「地球の重力加速度と人工的に作りだした加速度とが等価である」ということです。これはアインシュタインが「等価原理」としてまとめ上げた概念で、つまり、重力加速度と毎秒毎秒9.8mの加速度を持つ人工的な加速度はまったく同じものである、という考えをこの実験を通して確認したわけです。
(2015.12.11)


(10/18),(10/27),(10/28),(10/29),(11/1),(11/2),(11/7),(11/11),(11/14),(11/15),(11/17),(11/22),(11/29),(12/3),(12/8),(12.11)


次はいよいよ「慣性質量」です。まず、「慣性」という言葉ですが、これは「物体が外力の作用を受けたとき、作用を受ける以前の状態を維持しようとする性質」、つまり、「物体の動きにくさ」を意味しています。
 たとえば、ニュートンの「第二法則」を式で表すと、次のようになります。

 F=ka.

 この式を言葉で表すと、「物体に外力Fが作用すると速度が変化し、この時の加速度aと外力Fはkを比例定数として比例関係にある」となります。
 ここで、この比例定数kに注目しましょう。物体に作用する外力Fを一定にすると、kとaは反比例の関係になります。kの値が大きくなるにしたがって、加速度aはどんどん小さくなっていきます。言い換えると、kの値が大きくなるにしたがって、物体はますます「動きにくく」なっていくわけです。つまり、この定数kが物体の「慣性」を表していて、一般に物体の質量mを使って上式は次のように表されています。

 F=ma.

 もうお分かりだと思いますが、この式の中の質量mが「慣性質量」なのです。
 当然ながらここでこの「慣性質量」を具体的に求めることになりますが、いったいどのようにして求めたらいいのでしょうか。それではいよいよこの方法を考えてみましょう。
 まず、天井から同じ長さのヒモを間を開けて2本垂らします。このヒモの一方に質量の分かっている重りを下げます。ここでは「国際キログラム原器」を基に作成された「分銅」を使って質量が正確に1kgと決定された重りを使いたいと思います。この重りを一方のヒモに吊り下げます。この重りを(A)としましょう。もう一方のヒモに質量の分からない重りを吊り下げます。この重りを(B)としましょう。
 次に、2つの重り(A),(B)のそれぞれに全く同じ力を加えます。これによってそれぞれの物体が2秒間に進んだ距離を写真判定で決定しましょう。写真を調べたところ、初め静止状態にあった重り(A)が2秒間に8m動いていたとしましょう。ここで注意しなければならないことがあります。初めから一定の速度であれば、2秒間で実際に8m進んだことになりますが、今私たちが問題にしているのは、初速度0から一定の加速度で進んで2秒間で8mですから、この場合は一定の速度で進んだ場合の半分の距離しか進んでいません。ですからまず8mを2倍して、一定の速度で進んだ場合の距離に直し、この値を2秒で割らなければなりません。ここでは距離は8m×2より16mとなりますから、したがって、重り(A)の2秒後の速さは16÷2=8(m/秒)となります。このことから、2秒間で速さが0(m/秒)から8(m/秒)に変化していることが分かります。したがって、重り(A)の加速度は(8-0)÷2を計算して4(m/秒2)となります。
 それでは、今度は重り(B)の加速度を求めることにしたいと思います。重り(A)に加えた力と同じ力を加えたところ重り(B)は速さ0(m/秒)からスタートして2秒間で10m進んでいたとしましょう。この場合も一定の加速度で進んでいますから、重り(B)は初めから一定の速度で進んでいる場合の距離の半分の距離しか進んでいません。そこで、一定の速度で進んでいる場合の距離に直して考えると、重り(B)は2秒間で20m進んでいることが分かります。これより、重り(B)の2秒後の速度が20÷2より10(m/秒)であることが分かります。以上により、重り(B)の速度が2秒間で毎秒0mから毎秒10mに変化していることが分かります。したがって、重り(B)の加速度は(10-0)÷2=5より5(m/秒2)となります。
 以上の考察が正しいかどうかを簡単に調べておきましょう。加速度a(m/秒2)でt秒間に進んだ距離をxmとすると、初速度が0のとき、次の関係式が成り立ちます。

  X=(1/2)at2.

 重り(A)について、a=4としてt=2を代入すると、x=8m、重り(B)についてa=5としてt=2を代入すると、X=10mとなります。これで上記の考察に問題がないことが分かりました。
 それでは、この事実を基に「慣性質量」を求めることにしましょう。もう一度ニュートンの「第二法則」の関係式を書くと、加える力をF(N),「慣性質量」をm(kg),加速度をa(m/秒2)とすると、

  F=ma.

 重り(A)についてはm=1(kg)であって、また実験によってa=4(m/秒2)であることが分かっていますから、したがって、加えられた力Fは

  F=1×4=4(N).

 次に、重り(B)についてですが、求める「慣性質量」をm(kg)とすると、加速度aは5(m/秒2)、力Fは上の計算で4(N)と分かっていますから、したがって、次の関係式が与えられます。

  4=m×5.

 これを計算すると、m=4÷5=0.8より、重り(B)の「慣性質量」mが0.8(kg)であることが分かります。
 以上で「慣性質量」を求める作業は終了しました。しかし、実はここでやっかいな問題が発生することになります。(2015.10.18)
 
※(9/2),(9/6),(9/12),(9/19),(9/25),(9/26),(9/30),(10/3),(10/12),(10/18)

キャベンディッシュが「万有引力定数」Gを求める際に使った式を私たちも導き、それは次のように表されました。すなわち、

 G=Cθr2/(2LmM).

 ただし、Cは実験の際に使った弾性線の「ねじれ定数」、θは実験の際に弾性線がねじれた角度、Lは弾性線に吊るした棒の中心を基準とした左右半分の長さ、mはこの棒の両端に固定した物体の質量、Mは実験装置に向かって右側の質量mに対しては互いの中心を一致させて手前に(左側の質量mの物体に対しては反対に奥の側に)配置した大きな重りの質量、rは物体mとMの中心間の距離です。
 ここで、この式をよく分析してみましょう。もう一度確認しますが、Cは弾性線の「ねじれ定数」ですから、それこそ一定です。rは質量mとMの重りの間の距離ですから、測定することによって決定されます。Lも質量mの物体を固定する棒の長さですから、これも測定可能です。もちろん、角θも測定可能な値です。しかし、実はここに問題があります。この角θは2つの物体の質量m,Mによって決定される量であるということです。厳密に言うと、地球上ではそれぞれの地点で重力加速度が異なっていますから、同じ物体を場所を変えて「バネばかり」で測定すると、これが質量を求めるための測定だとすると、値が微妙に異なってくることになります。このため、同じ質量m,Mを使って角θを測定しても、場所によってその値に違いが出て来るのです。この問題をいったいどのようにして解決したらいいのでしょう。
 このページにはじめてお出でくださった方を意識して、ここで「質量」とはいったい何なのかおさらいしておきましょう。また話が脱線する可能性が出て来てしまいましたが、お許しください。たださまざまな観点から考えるために、例を変えていますので、退屈はしないのではないかと期待しております。それでは、「質量」ですが、これは私たちが生活しているニュートン力学の世界では、物体が物理学的な性質として固有に持っている一定量です。たとえば、1cm3の体積の物体AとBの質量を比べてみましょう。もし、Aの質量が1gより小さく、Bのそれが1gより大きければ、理科で行っている「浮力」の実験でも明らかなように、これらを水に浮かべると、Aはそのまま水面に浮かび、Bはすぐに沈んでしまいます。これはそれぞれの物体が固有に持っている「質量」という定量的な性質に関連して発生する現象です。
 当然ながら、はじめてお出でくださったその方は、「ちょっと待てよ、この質量は重さと言い換えてもいいんじゃないの」とおっしゃることでしょう。しかし、これに対しては場合によっては正しく、場合によっては間違っていると言わねばなりません。たとえば、これは少し前に触れたことですが、地球上で60kgの重さの人が、「重力加速度」が6分の1の月面で測ると重さは10kgしかありません。それでは、地球上で60kgの質量の人が月面で測ると質量はどうなっているでしょう。そうです。やはり60kgです。つまり、質量とは重さと違って場所によってまったく変わらないその物体が物理学的性質として固有に持っている量なのです。地球と月面での現象を比べるまでもなく、繰り返しますが、地球上でも場所によって重力加速度が異なっていますから、同じ物体で[質量」が同じでも「重さ」は違っているのです。
 それでは地球上で物体が場所に関係なくつねに一定の値を持つ「質量」をどのようにして求めているのでしょう。ここで私たちは「質量」を「重力質量」と「慣性質量」に分けて考えねばなりません。まず、「重力質量」ですが、これは白金90%、イリジウム10%からなる合金で作られた直径、高さがともに約39mmの円柱形をなす物体の質量を1kgと定義した、フランスのセーブルに保存されている「国際キログラム原器」を基にして決定されています。この原器は1889年の第1回国際度量衡総会で承認されたもので、日本にはその複製が保管されています。まず、この複製を基にして作成された分銅を用意しましょう。次に、天秤の一方の皿に測定される物体を乗せ、もう一方の皿に物体と釣り合うまで分銅を乗せていきます。さいごに、釣り合った段階で分銅に記されている質量の合計を求めましょう。この結果として与えられた量が「重力質量」なのです。
 もし、このページにはじめてお出でくださったその方が好奇心の旺盛な方であったなら、もしかすると、次のような疑問の声を発するかも知れません。「私たち人間が勝手に決めた質量でどうして自然の本質に関わる『重力質量』が分かるのか」と。うっかりしていました。そうでした。実は、これは本当に大切な質問です。
 たとえば、まず、時間ですが、1秒とはセシウム原子133の2つの基底状態間を「粒子」が遷移する際に放射されるエネルギーの放射時間を91億9263万1770倍した継続時間のことです。また、長さですが、1mとは光が真空中を1秒間に進む距離を2億9979万2458等分した内の1等分の長さのことです。これらはイギリス王立協会において1861年から1870年に掛けてこれまで使われていた単位の統一作業が行われ、その後科学技術の進歩とともに1960年の国際度量衡総会においてより正確に定義され、それ以降も時間や長さにおいては測定方法が改良され、そして現在1秒、1mとして上記の定義が採用されているわけです。つまり、私たちは私たちが考えた値を「基準」にしてさまざまな現象を観察しているのです。
 私たちは定義された1秒を3600倍した値を1時間と決め、またやはり定義された1mを1000倍した値を1kmと決めています。これを基に計算すると、自動車が1時間に60km進んだ場合は、その速さが時速60kmであることが分かります。また、すでにお話している簡単な計算方法を使うことによって、地球が太陽の周りの公転軌道上を時速約10万km以上の速度で疾走していることが分かります。この2つの値を比べてみましょう。すると、地球が私たちが日常的に経験する速度以上のスピードで運動していることが分かります。にもかかわらず、私たちは毎日この地球上で地球がまるで「静止」しているかのように思いながら生活しているのです。そして、ここです。私たちが考え出した「基準」を使って観察することによって、哲学的な問題とも言える「静は動の中に存在する」というゼノンの時代からの難問を見事に解決し、のみならず、「運動とは相対的なものである」と考えを一般化することも出来ているのです。
 このように、私たちは「質量」のみならず、観測実験に必要な道具をまず正確に「定義」し、これを基に測定することによって結果を人類全体で共有出来るようにしているのです。もし実験を再現することによって、異なる結果が得られた場合、ここに科学技術がさらに進歩する可能性が潜んでいます。つまり、実験道具を正確に定義すればこそ、自然界の奥深くに潜む目に見えない現象を誰もが手に取るように知ることが出来るわけです。たとえば、私たちの銀河系の中心には太陽の質量の400万倍の質量の「ブラックホール」が存在している、というように。
 それでは次に「慣性質量」の問題を考えてましょう。(2015.9.2)

※(7/24),(7/28),(8/1),(8/10),(8/13),(8/16),(8/19),
(8/23),(8/25),(9/2)


前回は、地球上の任意の地点で測定実験することによって求められた「引力定数」Gの前にどうして「万有」という言葉が付けられるのか、という問題を中心にお話をしました。ここで、キャベンディッシュの実験過程をもう少し深く分析し、これによってさらに議論を進めるための足掛かりを見付けたいと思います。
 おさらいを兼ねてもう一度繰り返させていただきます。まず、キャベンディシュは長さ2Lの軽い棒の両端に質量mの重りを固定しました。この棒の中央をねじり秤(ばかり)の役割をする弾性線で結びました。そして棒が机の上30cmほどの高さで机の面と平行になるように調節し、これを天井からぶら下げました。次に、棒に向かって右側の重りに対しては手前に質量Mの鉛でできた大きな重りを、左側の重りに対しては奥の方にやはり同じ質量Mの重りを、それぞれMとmの中心間の距離がrとなるように置きました。
 この段階で2つの物体の間に働く「万有引力」をFとすると、これまでたびたび出て来ている次の関係式が与えられます。

 F=G(m・M)/r2.

 この式の中の数m,M,rはすでに知られている値です。私たちが現在問題にしているのは「万有引力定数」Gを求めることですから、したがって、この式の中の「万有引力」Fも既知数でなければなりません。さて、それではキャベンディッシュはこのFの値をどのようにして求めたのか、この方法を具体的に分析してまいりましょう。
 実験で使っている長さ2Lの棒の中央の点をOとすると、この点から左右の両端に固定している質量mは「万有引力」Fによって、質量Mの大きな重りの方に引き寄せられています。この時、それぞれの質量mの重りに作用する力Fは「偶力」であって、これによるモーメントをNとすると、

 N=F×L+F×L=2FL.

 一方、このモーメントによって弾性線が角θだけねじれたとすると、Nは実験的に次の比例式で表されます。すなわち、

 N=Cθ.

 ここで、Cは弾性線の半径、その長さ、およびそれぞれの弾性線がねじれに対して持つ固有の性質(剛性率)によって決定される「ねじれ定数」と呼ばれる値です。
 上記の2式からNを消去すると、

 2FL=Cθ.

 さらに、この式のFに「万有引力」Fの関係式を代入すると、

 2LG(m・M)/r2=Cθ.

 この式をさらにGを求めるための式に変形すると、次のようになります。

 G=Cθr2/(2LmM).

 以上により「万有引力定数」Gをキャベンディッシュの実験方法で求められることが分かりました。(2015.6.24)

※(6/25),(6/27),(7/3),(7/5),(7/7),(7/17),(7/19),(7/20),(7/24)


それでは具体的に「万有引力定数G」の考察に入ることにしましょう。まず、定数Gを求める方法を考えてみましょう。もう一度ニュートンの万有引力Fを求める式を書くと、

 F=G(m・M)/r2.

 この式から明らかなように、定数Gはボートと観測者を合わせた質量m、地球の質量M、地球の半径r、それからボートと地球との間に働く万有引力Fが分かれば求められます。
 さて、それでは問題です。もし地球の質量Mと半径rがまだ知られていなかったら、いったいどのようにして定数Gを決定していたでしょうか。うっかりすると気付かないでしまうことですが、実は、この疑問は科学的にとても大切な概念と関連しているのです。どのような概念でしょうか。それは「実験の再現性」です。たとえば、「万有引力定数」を決定するために必要な装置や器具を使って実験室で観測し測定する実験を行った場合、もし得られた結果が正しいものであるなら、別の実験者が時と場所を変えて同じ実験をしてもかならず同じ結果が「再現」されるということです。
 この観点に立って、定数Gを求めるために実験室で行われた実験を再現してみましょう。この実験が初めて行われたのは18世紀も終わりに近い1798年のこと、実験者はイギリスの化学者で物理学者でもあったかの偉大な実験家H・キャベンディシュでした。彼は次のようにして実験の準備に取り掛かりました。
 まず、長さ2Lの軽い棒の両端に質量mの重りを固定し、次にこの棒の中央にねじり秤(ばかり)を取り付け、これを弾性線で結びました。そして棒が机の上30cmほどの高さで机の面と平行になるように調節し、これを天井からぶら下げました。次に、棒に向かって右側の重りに対しては手前に質量Mの鉛でできた大きな重りを、左側の重りに対しては奥の方にやはり同じ質量Mの重りを、それぞれMとmの中心間の距離がrとなるように置きました。なお、質量Mの重りはmとMの中心が正確に一致するように支柱で固定されていました。
 質量Mはmに比べてひじょうに大きいため、Mとmの間の万有引力によって、mがMに引き寄せられます。この際に棒は棒の中央を支点として少し回転します。キャベンディッシュの実験ではこの時に回転する角θを測定することによって、万有引力の大きさを知ることが出来るように工夫されていました。
 ところで、地球上の重力がそれぞれ微妙に異なる多くの地点の中のある特定の地点で実験をすることによって得られる結果に対して、どうしてすべての地点に当てはまる結果であることを意味する「万有」という言葉を付けられるのかと疑問に思われる方がいらっしゃるのではないでしょうか。
 この問題に対してはこのように考えてみましょう。たとえば、バネばかりを使って地球上で60kgの体重の人の体重を重力が6分の1の月面で測りたいと思います。さて、体重は・・・。そうです、10kgです。それでは、天秤(てんびん)を使って測定した場合はどうでしょう。この場合は、地球上で60kgの人の体重は月面でも60kgになっているのです。つまり、天秤の原理を使うと、地点地点で微妙に変化する重力の特殊性を取り除くことが出来るのです。さらにここで大切な考えを付け加えます。まず、棒の両端に質量mの重りを付け、そして棒の中央に計測器と支点を兼ねた弾性線を結び、これを天井から下げた状態全体を「系」と呼びましょう。実は、この系の場合、質量mとMとの間に発生する万有引力は地球の重力と局地的につねにベクトル的に垂直になっています。つまり、質量mの重りが支点を中心にして回転しても、これによる仕事はゼロですから、この実験の過程では系全体のエネルギーは増えも減りもせず、つねに一定に保たれているのです。このように、キャベンディッシュが考案した実験方法は、特定の地点における重力の作用が打ち消され、その結果としてすべての地点に共通する「引力定数」を求めることが出来るという点でひじょうに優れたものでした。また上記のように、実験で測定地点の重力の特殊性が取り除かれているため、この言葉の前に「万有」という言葉が付けられても当然のことでした。
 これでキャベンディシュの測定実験の原理を理解していただけたと思いますが、せっかくですからもう少し頭の中で実験をしてみましょう。
(2015.6.23)

※(5/19),(5/23),(5/25),(5/26),(5/28),(5/31),(6/5),(6/9),(6/10),(6/11),(6/15),(6/16),(6/23)

私たちは現在、地球が密度が一様で完全に球の形をしていると仮定して議論を展開しています。それではさっそくこのような地球の赤道上における重力加速度についての考えを「対称性」の概念を使ってさらに深く分析してみましょう。
 この文章を書くとき、はじめてこのページにお出でになられた方にも出来るだけここだけで内容を理解していただけるよう願いつつ書いていますので、これまでお付き合いくださっている方には内容がかなりくどくなっているかも知れませんが、この点はどうかお許しいただきたいと思います。
 さて、私たちが暮らしている地球は太陽を中心とした約1億5000万kmを半径とするほぼ円形の軌道を約365日で一周しています。
 これより一周の長さは

 2×1億5000万km×3.14=6.28×1.5×10の8乗
             =9.42×10の8乗(km).

 一方、1年の日数365日を秒の単位で表すと、

 365×24×3600秒=3.65×100×2.4×10×3.6×1000
         =3.15×10の7乗(秒).

 したがって、地球が太陽の周りを公転する速さは

 (9.42×10の8乗)/(3.15×10の7乗)=29.9(km/秒).

 何と言うことでしょう。地球は公転軌道上を1秒間にたった29.9kmしか移動していないのです。これに3600を掛けると時速になりますから、試しに掛けてみると、10万7640km。これに24を掛け、さらに365を掛けると1年間に進む距離は9億4290万kmとなって、これは上で計算した公転軌道の長さと一致していますから、やはり、計算は間違っていません。
 次に、太陽の光ですが、これは地球まで約8分掛かってやって来ています。8分は480秒ですから、したがって、光の速さは

 1億5000万km/480秒=310000(km/秒).

 光の速さは正確には毎秒30万kmですから、少し違いが出ていますが、これはここでは本質的ではありませんのでお許しいただいて、地球の公転速度の光の速さに対する割合を計算してみましょう。すると、

 29.9÷310000×100≒0.01(%).

 秒速だと地球の公転速度が本当に小さな値であるように思えましたが、正直言って、これで安心した面もあります。なぜでしょう。そうです、上に得られた割合は、私たちが住んでいるこの地球においては日常生活のレベルでは「相対論的効果」をほとんど無視できるということを意味しているからです。たとえば、地球の中心から6378kmの地点にある地球の表面上での時間間隔、つまり、1秒という時間間隔で言えば、100kmほどの高度差であってもそれが目立って延びたり、縮んだりせずほぼ一定であるということを意味しているからです。また、上の検算の過程で地球の公転速度が時速10万7640kmもあって、この数値はリニアモーターカーの時速500〜600kmに比べるとひじょうに大きなものであることは分かりますが、しかし、それでも地球はニュートンの古典力学の理論が支配する何とものどかな「オアシス的」な空間であることを上の割合が意味しているからです。
 それではここでもう一度ニュートンの「万有引力定数」を分析する方向に軌道を修正してまいりましょう。まず、地球とボートの間に働く「万有引力」Fは次の式で表されます。

 F=G(m・M)/r2.

 ただし、Gは「万有引力定数」、mはボートとこれに乗っている観測者とを合わせた質量、Mは地球の質量、rは地球の半径です。
 一方、赤道上における重力加速度をgとすると、ボートを地球の中心に向かって引っ張る「重力」fは次の式で表されます。

 f=mg.

 上の2式のFとfの値は等しい関係にありますから、したがって、

 mg=G(m・M)/r2.

 したがって、両辺よりmを消去すると、gとして次の式が導かれます。

 g=G(M/r2).

 この計算はこれまで何回かやっていますので、またここで実施するとかなりしつっこいとお思いになられるでしょうが、上にも書きましたように、この文章は今回はじめてこのページにお出でになられた方を前提に書いておりますので、お許しください。同じことを繰り返してはいますが、実は、そうでありながら内容は少しずつ前進しています。ご期待ください。
 それでは、万有引力定数G(6.67×10の(-11乗)N・m2/kg2)、地球の質量M(5.974×10の(24乗)kg))、地球の半径r(6378km=6.378×10の(6乗)m)を上式に代入して重力加速度gを求めてみましょう。

g={6.67×10(-11乗)}×{5.974×10(24乗)}/{6.378×10(6乗)}2
 ={39.8×10(13乗)}/{40.7×10(12乗)}
 =9.78.
 
 ここで、重力加速度gの単位も計算で求めてみましょう。すると、

  (N・m2/kg2)×(kg)/(m2)=N/kg=m/秒2.

 ただし、N/kgが得られた段階でN=kg・m/秒2を代入しました。
 以上により、上で求めた重力加速度gの値が9.78(m/秒2)であることが分かりました。私たちは普段、重力加速度を毎秒毎秒9.80mとして計算していますので、今回もやはりかなり一致した値が得られたと言えます。
 私たちは上で計算をすることによって重力加速度の単位を求めました。それでは、ここでもう一度重力加速度gを求める式に注目してみましょう。はじめに、次の式を引用しましょう。

 g=G(M/r2).

 右辺の式を見ると、Gは「万有引力定数」、Mは地球の「質量」、rは地球の中心から赤道までの距離、つまり地球の「半径」で、これらの「定数」によってgが決定していることが分かります。つまり、rを地球の半径である6376kmと限定している限り、「重力加速度」gはつねに一定なのです。
 そして、ここが問題です。Mもrも一定である場合、gの値はいったい何に対して一定なのか、言い換えると、gの値はいったい何に対して「対称」な状態になっているのか、ということです。もしかすると、rに対して「対称」なのではと思われる方がいらっしゃるかも知れません。もちろん、違います。実は、「定数」でありながら「変数」でもある値があるのです。地球の公転速度の光の速度に対する割合を計算することによって、私たちが生活している世界がニュートンの「古典力学」が成り立つ世界であることを知りましたが、であればこそ「定数」と判断されるのであって、もし私たちの世界が「相対論的」な世界であれば言うまでもなく「変数」として扱われねばならない代物です。そうです。それは「万有引力定数」です。(2015.5.19)

※(5/3),(5/5),(5/6),(5/7),(5/10),(5/16),(5/18),(5.19)


過去の文章に目を通しますと(2014.4.4),(2014.12.18)で次の式に出会います。

  OD=rcosθ.

 この式を見ただけで、ボートが球状の地球のなめらかな表面を「慣性の法則」にしたがって「等速直線運動」していることをどのように説明したらいいかと悩んでいる様子が思い出されます。地球の中心と赤道を通るように球を切断し、その断面を見れば、赤道は円形をなしています。地球の中心Oに立っている「観測者2」の立場からすると、ボートは中心Oから一定の距離にあるこの軌道に沿って「円運動」しているにもかかわらず、ボートに乗っている「観測者1」の立場からすると、ボートは真西に向かって真っ直ぐに「等速直線運動」しているということ、この矛盾をどのように説明したらいいかと日々苦悩するその頃が懐かしく思い出されます。そして今、「そうか、そうだったのか!」と上記の問題を理論的に説明できると判断した瞬間、これらの苦しみを自分自身の存在としての根本的な問題としてこれと実直に対峙すればこそ、こうして今目の前に広がる闇が少しずつ消え、彼方に見える微かな光にかつて経験したことのない神々しいほどの美しさが感じられるのであろうと思うのです。それでは、これまでの考えを振り返りながら、つねに抱いていた疑問点が解決されるまでの過程を整理してまいりましょう。
 まず、地球の中心Oを始点として2本の「重力線」をV字型にθの角をなして赤道を通るように引きました。そして、V字型の右側の直線と赤道との交点をAとしました。次に、点Aにおいて「重力線」と垂直になるように直線を引き、V字型の左側の「重力線」と交わった点をCとしました。また、点Aから直線OCに対して垂直になるように直線を引き、交わった点をDとしました。さいごに地球の半径OAをrとし、またOC=ℓとすることによって、これで準備は整いました。
 もう一度、ΔOADについて考えましょう。OA=r,∠AOD=θ,∠ODA=∠Rですから、これより次の式が与えられます。すなわち、

  OD=rcosθ.

 さらに考察を進め、ΔCOAについて考えると、OC=ℓ,OA=r,∠AOC=θ,∠CAO=∠Rですから、cosθ=r/ℓよりℓ=r/cosθが与えられます。以上により、CDの長さについて次の式が導かれます。すなわち、

  CD=OC-OD=ℓ-rcosθ=r/cosθ-rcosθ.

 実は、この式からとても大切な考えが導かれるのでした。それはθの角をなしてV字型に隣接する2本の「重力線」の右側の点Aから「慣性の法則」にしたがってこの直線を垂直に横切って左側の「重力線」上の点Cに達したとき、ボートは次式で与えられる位置エネルギーPを獲得しているということです。つまり、

  P=mg×CD=mg(r/cosθ-rcosθ).

 ただし、mはボートと観測者1を合わせた質量で、gは赤道上における
重力加速度を意味しています。
 しかし、ここで、大きな矛盾が発生します。それは「慣性の法則」にしたがって、「見掛け上」外力を受けることなく、つねに一定の速度で運動しているにもかかわらず、ボートのエネルギーが上記Pの位置エネルギー分だけ増えてしまっているということです。問題は、もちろん、この矛盾をどのようにして解決するか、これです。繰り返しますが、ボートは外力を受けることなく「慣性の法則」にしたがって赤道上を「等速直線運動」しているのです。にもかかわらず、位置エネルギーが上記Pの値だけ発生している。この矛盾点をどのようにして解決すべきか。
 ここで、θをゼロに近付けて行ってみましょう。すると、cosθは限りなく1に近付いて行きます。したがって、この場合、CD=OC-OD=r-r=0となり、OC=ODの関係式が得られます。このことから、θを限りなくゼロに漸近させることが出来れば、位置エネルギーPをつねにゼロにすることができ、結果として、「慣性の法則」にも矛盾しなくなることが分かります。しかし、ここでまた問題が発生します。それは、ボートがA地点に存在するとき、一体どのようにしたらθをゼロに漸近出来るのか、ということです。自然は私たち人間に都合のいいようには振る舞ってくれません。私たちの存在に関係なく、この問題が自然に解決出来なければならないのです。
 このため、議論をここまで展開して来て、これから先へは進めませんでした。θをゼロに漸近させるといった「恣意的」な操作をしなくても、結果的にθを限りなく0に近付ける操作が自然に行われていると考えられる方法をどうしても見出さねばなりませんでした。そして、考えに考えた末に出て来たのが「対称性」の概念でした。この概念についてはたびたびお話していますが、これをここで要約しましょう。すると、「対称性」は言葉で表せない直観的な内容を幾何学的に理論化してくれる点でひじょうに大きな力を持っていると表現されます。たとえば、質量ゼロの時計回りに回転している粒子のグループがある時、「反時計回り」に回転し始めたとしましょう。この現象をどう説明したらいいでしょうか。これを説明するために、光速で進んでいる粒子の集団を後ろからロケットで追い掛けている場合をイメージしてみましょう。ロケットの中の観測者の立場からすると、粒子は「時計回り」の回転に関して「対称」な状態になっています。ここで、粒子が「質量」を持ち、これがブレーキとなって速度が落ちたとしましょう。このためにロケットがこの粒子の集団を追い越し、この段階で観測者がこの粒子をもう一度観測したとしましょう。どうでしょうか。これらの粒子は今度は「反時計回り」の回転に関して「対称」になっているではありませんか。つまり、「対称性」の概念を使うと、粒子の回転方向が変わるということは、粒子が「質量」を持つことを意味しているわけです。これで「質量」の発生というもっとも重要な概念が「直観的」かつ「理論的」に説明できたのでした。この概念が理論を展開する上でそれほどに大切な道具であることがお分かりいただけたことと思います。
 さて、それではいよいよ「対称性」の概念を使って「重力」の問題を考えてみましょう。(2015.5.3)

※(4/14),(4/16),(4/22),(4/23),(4/24),(4/27),(4/29),(5/1),(5/2)

確認しますが、地球は理想的な球の形をなしていて、その表面全体が波1つ立たない限りなく穏やかな湖で覆われているものと仮定しています。また、湖面はひじょうに滑らかで、このため水とボート外側側面との間に摩擦力がまったく存在せず、したがって、ボートは赤道上のA地点から出発する時にオールを一回漕いだだけで、それ以降は「慣性の法則」にしたがって進んでいます。その結果として、ボートは今こうして真西に向かって進んでいる状態にあるのです。
 ここで、「重力加速度g」の「対称性」を赤道上にのみ限定して考えてみましょう。もちろん、「重力加速度g」の時間(秒)に関する「対称性」の概念(7)をそのまま採用することが出来ます。なぜなら、(2015.1.27)の操作(4)に戻って、φとθをそれぞれφ=0,0≦θ≦360とするだけで、概念(7)を赤道上における「対称性」の概念に帰着させることが出来るからです。
 さて、ボートは赤道上を進むとき、出発時を別にして、重力以外のいかなる外力もまったく受けることがありません。表現を変えると、ボートは重力の作用だけを受けながら、「慣性の法則」にしたがって湖面上の目に見えない赤道の上を真西に向かってひたすら進んでいるのです。しかし、ここで、これは今までたびたび出て来ていることですが、「重力の作用を受けながら『慣性の法則』にしたがって運動している」という考えをどのようにしたら納得していただけるかという問題に直面します。
 分からなければ、分かるまで、納得しなければ、納得するまで、それこそ心の中でつぶやくように同じことをひたすら書き続けるしかありません。もちろん、「重力の作用を受けながら『慣性の法則』にしたがって運動する」という問題をどう解決するか、これです。まず、「重力加速度g」の「対称性」を具体的にイメージすることから考えてみましょう。
 はじめに、赤道上のある地点で「重力加速度g」が「非対称」になっていたとしましょう。とすると、これはこのような場合にエネルギー的に考えられる問題点としてたびたび考察しているように、その地点で重力加速度の「非対称性」による位置エネルギーの変化を起因とする外力がボートに対して加わることを意味しています。この外力によってボートはその時点でたまたま赤道上を進むことが出来たとしても、確実にこの上を進んでいるとは言えなくなります。一様な密度で理想的な球をなし、かつ表面が波1つない穏やかで滑らかな湖で覆われている地球上であれば、ボートは「慣性の法則」にしたがって運動しますので、これは明らかに矛盾しています。このことから、赤道上では「重力加速度g」の「対称性」が一般的に成り立たたねばならないことが分かります。
 それでは次に、「重力」が作用していながら、なぜボートは「慣性の法則」にしたがって運動できるのか、この点を考えてみましょう。この問題は、このように考えてみましょう。それは、ボートが「重力」の作用を受けないように運動しているから、「慣性の法則」にしたがって運動しているということです。とすると、ああ、何と言うことでしょう、「最小作用の原理」が見えて来るではありませんか。そうです。フランスの数学・物理学者モーペルチュイが1744年に「自然はもっとも節約した経路をとる」と自然界の摂理をもっともシンプルな言葉でまとめ上げた美しい原理、これです。(2015.4.14)
 
※(3/19),(3/22),(3/26),(3/28),(3/31),(4/4),(4/6),(4/7),(4/9),(4.14)

私たちは現在、地球を一面穏やかな湖に覆われた凹凸のまったくない理想的な球と見なしています。地球の中心からの距離rをr=6378kmと固定し、そして地表における「重力加速度g」の時間(秒)に関する「対称性」を次のように表現しました。

 重力加速度gは「操作g{(秒):r=一定}」に関して対称である。・・・(7)

 ただし、上記の文では内容に一般性を持たせるためにr=一定としていますが、もちろん、ここではr=6378kmを意味しています。
 さて、それではまた(2015.1.7)の記述に戻って、ボートが赤道上のA地点から真西に向かってどんどん進んでいる場合を考えてみましょう。
 まず、これまでのおさらいを兼ねて、湖面上のある地点での時間(秒)が私たちが普段感覚している1秒に比べて長くなっている場合、つまり時間の歩みが遅くなっている場合を考察してみましょう。もしA地点を出発する時重力加速度gが私たちが普段使っている毎秒毎秒9.80mであったのに、進行方向のある地点で時間の歩みが急に遅くなっていたとすると、その地点で重力加速度が急に大きくなっていますから、ボートにそれまでより大きな重力が掛かることになります。当然ながら、ボートは増えた分の重さを浮力で補うことになりますから、船底はこれまで以上に深くなります。それでも湖面からボートの縁までまだ余裕があれば問題ありませんが、もし余裕がなければボートはその場で水没してしまいます。時間の歩みが遅くなるとは、このようにボートに対して外力が加わることを意味しているのです。
 それでは、反対に、進行方向のある地点で時間の歩みが急に速くなっている場合はどうでしょう。これはその地点で重力加速度gが小さくなっていることを意味しています。ボートに掛かる重力が急に小さくなり、その結果浮力も小さくなりますから、水面下にあるボートの体積を小さくするためにボートに対して下から押し上げる力が発生し、こうして水面から船底までの深さが浅くなります。確認しますが、この場合もボートに対して外力が加わっていることが分かります。
 ただし、ボートが進んでいる時にある地点で重力加速度がいきなり大きくなったとすれば、たとえば、その地点の湖底の岩石の密度が周囲の岩石の密度より時間の歩みを遅らせる程大きくなっているということ、また反対に重力加速度が突然小さくなったとすれば、その地点の湖底の岩石の密度が周りの岩石の密度より時間の歩みを速める程ひじょうに小さくなっているということですから、したがって、ここでは地球を限りなく理想的な球と仮定していますので本来なら考慮する必要はありません。ですから、それでも、もしある地点で時間の歩みに変化があるほど重力加速度が急に変わっていたらボートはどうなるかと、文章をさらに発展させる都合のためにこのように考えていると判断していただきたいと思います。
 これで準備が出来ましたので、それでは、赤道上のA地点から真西に向かってボートを進めましょう。いよいよ、スタートです。湖面は限りなく滑らかで、水とボートとの間の摩擦力はまったくありませんので、ボートは出発する時にオールを一回漕いだだけで今は「慣性の法則」にしたがってそのまま真っ直ぐに進んでいます。(2015.3.19)
 
※(2/17),(2/19),(2/22),(2/23),(3/1),(3/3),(3/6),(3/12),(3/17)

もう一度、「万有引力定数」Gの単位を分析することから始めましょう。まず、前回お話しましたように、この定数の単位は次のようになります。

  [m3/(kg・秒2)] ・・・・・(6)

 この単位式の分母を見ますと、時間の単位である[秒]の2乗が入っています。おたずねしましょう。これはどういうことを意味しているのだったでしょうか。たとえば、私たちが普段感覚している1秒より1秒の長さが長くなっているとき、つまり、時間の歩みが遅くなっているとき、もっと言うと、1秒という時間が数値的に小さくなっているとき、(6)式より定数Gが大きくなっていること、つまり、重力加速度gが大きくなっていることが分かります。逆に、私たちが普段感じている1秒より1秒の長さが短くなっているとき、つまり、時間の歩みが速くなっているとき、言い換えると、1秒という時間が数値的に大きくなっているとき、(6)式より今度は定数Gが小さくなっていること、つまり、重力加速度gが小さくなっていることが分かります。この関係は、たとえば、「ブラックホール」の中心の「特異点」で「時間が止まって重力が無限大になっている」現象をモデルとして考えると理解し易いです。つまり、こうです。時間が止まるということは、1秒の長さがゼロに限りなく近付くということ、つまり、時間の歩みが限りなく遅くなるということであって、このことから、(6)式の秒をゼロにすると定数Gが無限大になります。このように「極限値」を考えるだけで、上の思考過程が理論的に矛盾していないことが明らかになるのです。
 それでは、ここでr=6378kmの地点、つまり、地球の表面上のある地点で時間の歩みが速くなったり、遅くなったりしているとしましょう。どうなるでしょうか。もちろん、遅くなると、重力加速度gが大きくなり、速くなると、小さくなります。と言うことは、重力加速度が小さくなった時に「小さなエネルギー」で物体を高い位置に持ち上げ、それが大きくなった時に落下させることによって「大きなエネルギー」が得られるシステムを作れば、その差を利用してエネルギーを無尽蔵に取り出すことが出来るようになるわけです。これは「永久機関」を作ることが出来ることを意味しています。しかし、これは「エネルギーが無から発生することを禁止する」熱力学の第一法則(エネルギー保存の法則)と矛盾することになるのです。以上のことからrを固定した球面上のすべての地点において時間の歩みが「同じ」でなければならないことが分かります。つまり、距離rの地点における重力加速度gに関する「対称性」の概念を次のように書き換えねばなりません。すなわち、

 重力加速度gは「操作g{(秒):r=一定}」に関して対称である。・・・・・(7)

 確認しましょう。上の文章(7)は、地球の中心からrの距離にある球面上の任意の地点において「時間(1秒)を指し示す操作」をしたとき、重力加速度gはこの「操作」に対してつねに「対称」であることを意味しています。もちろん、これは、これまで通り、地球が半径r=6378kmの完全な球であること、表面に凸凹のまったくない、一面が波1つ立っていない限りなく穏やかな理想的な湖に覆われているものと仮定していればこその結論です。(2015.2.17)

※(1/27),(1/29),(1/30),(1/31),(2/1),(2/3),(2/4),(2/7),(2/12),(2/14)


たとえば、地球の質量をM(kg),ボートとこれに乗っている「観測者1」とを合わせた質量をm(kg),地球の中心からボートまでの距離をr(m)とすると、地球とボートの間に働く「万有引力」F(N)は次の式で与えられます。

  F=G(M・m)/r2.・・・・・(1)

 一方、この時にボートに掛かる「重力」f(N)はこの地点での「重力加速度」をg(m/秒2)とすると、次の式で表されます。

  f=mg.     ・・・・・(2)

 「万有引力」と「重力」は等しい関係にありますから、したがって、

  mg=G(M・m)/r2.

 この関係式の両辺からmを消去すると、したがって、

  g=GM/r2.  ・・・・・(3)

 なお、Gは「万有引力定数」で6.67×10(-11乗)で表されます。せっかくですから、(3)式に定数Gの値、地球の質量M=5.974×10(24乗)kg,地球の半径r=6378km=6.378×10(6乗)mを代入し、地球の表面における重力加速度を求めてみましょう。すると、

g={6.67×10(-11乗)}×{5.974×10(24乗)}/{6.378×10(6乗)}2
 ={39.8×10(13乗)}/{40.7×10(12乗)}
 =0.978×10
 =9.78(m/秒2).

 1901年国際度量衡総会で定義されたgの標準値は9.80665(m/秒2)ですから、上の計算で得られた結果がほぼ一致していることが分かります。これで現在の「思考過程」に問題がないことが裏付けられました。
 ここで、式(3)をもう一度見てみましょう。定数GとMの値は一定ですから、重力加速度gが地球の中心から地表までの距離rの2乗に反比例していることが分かります。しかし、ここでさらにrの値を地球の半径と固定したらどうでしょう。もちろん、r2も定数となりますから、したがって、式(3)で与えられる重力加速度gも一定となります。
 今、ボートに乗っている「観測者1」とは別に、もう1人の「観測者2」が地球の中心Oに立っているものとしましょう。彼は左手で赤道上の一点を指さし、右手を赤道に沿って時計回りの方向に広げて行き、この時、左手と右手によって出来た角をθ(0≦θ≦360)としましょう。次に、左手が赤道上の一点を指したままで、今度は、右手を北極と南極を通るように広げて行き、この時、両手の間のなす角をφ(0≦φ≦360)としましょう。
 これで、地球の中心Oに立っている「観測者2」から任意の方向の距離rの地点における重力加速度を3つのパラメーター(r、θ、φ)を使って表すことが出来ます。それではさっそく、「観測者2」が指を指して任意の方向における重力加速度を求める操作を次のように定めましょう。

    「操作g(r,θ,φ):{r=6378,0≦θ,φ≦360}」・・・・・(4)

 上でrを地球の半径に固定したとき、式(3)より重力加速度gが一定であることが分かりました。この結果を「観測者2」の立場で指先を使った操作で表示してみましょう。すると、「θとφをどのような値にしても重力加速度gの値が同じである」となります。そして、ここです。すでに画用紙を使ってお話したように、ある操作に対して結果が「同じである」ということが「対称である」ということでした。したがって、重力加速度も「対称性」の概念を使って表現すると次のようになります。

   重力加速度gは「操作g(r)」に関して対称である。・・・・・(5)

 ただし、式(4)を簡略化して「操作g(r)」と表しました。また、これからも問題がない限りこの表現を使いたいと思います。
 ところで、これで重力加速度gの性質を普遍的に一般化したと言えるのでしょうか。実は、言えません。どこに問題があるのでしょう。
 この問題を考えるために、ここで、定数Gの単位に注目してみましょう。まず、単位を書き表すと、次のようになります。

  [N・m2/kg2].

 
 単位[N]をさらに分解すると、[kg・m/秒2]となりますから、したがって、上に与えられた単位の式にこれを代入して書き直すと次のようになります。

  [m3/(kg・秒2)] ・・・・・(6)

 これで準備が出来ました。それではいよいよ考察に入りたいと思います。
 まず、上の単位式(6)の分母に注目してください。ここに時間の単位である[秒]の2乗があります。これは地球の中心からの距離が一定でも、時間の値が大きくなれば重力定数が小さくなること、つまり、重力加速度が小さくなること、また、時間の値が小さくなれば重力定数が大きくなること、つまり、重力加速度が大きくなることを意味しています。言い換えましょう。時間の値が大きくなるとは、時計の秒針の歩みが速くなることであって、これによって結果的に重力加速度が小さくなるということ、また、時間の値が小さくなるとは、時計の秒針の歩みが遅くなることであって、これによって結果的に重力加速度が大きくなるということを意味しています。(2015.1.27)

※(1/7),(1/9),(1/10),(1/12),(1/13),(1/14),(1/20),(1/23),(1/25)・・・まとめるのに掛かった日数を後の参考までに残させていただきます。

そうです。「時空間の対称性の原理」がありました。ここでまず、1人の女流数学者を紹介しましょう。エミー・ネーター、その人です。彼女はアインシュタインの「一般相対性理論」を検証している時に「保存則が成り立つのは系が対称であるからだ」ということを発見しました。彼女はこれを「ネーターの定理」として発表しました。1918年のことでした。この定理によって「時間が一様であるからエネルギー保存の法則が成り立っている」こと、また「空間が一様であるから運動量保存の法則が成り立っている」ことが明らかになったのでした。もしかすると「対称性って何だ」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。せっかくですから、小学生時代に戻って、おさらいをしてみましょう。
 まず、画用紙を1枚用意しましょう。長方形の長い方の一辺を横として、
左側の縦(たて)の辺と右側の縦の辺とを正確に一致するように重ね、そのまま折ってしまいます。ここで、画用紙を開いてみましょう。もちろん、言うまでもなく、画用紙の中心を折れ線が縦にスジとなって走っています。ここで、折れ線の左側、または右側の画用紙の上に適当な図を絵具で描きます。描き終わったら、お互いの面を重ね合わせ、それからもう一度そっと開いてみましょう。どうでしょうか。そうですね。折れ線を中心にして左側と右側にまったく同じ図が描かれています。この時、私たちはこれらの図が左右「対称」な状態にあると言うのでした。
 上の思考過程をもう少し一般化してみましょう。まず、右(左)手の人差し指を前に出してください。そのままこの指を画用紙の中心の折れ線上に適当に置いてください。次に、この点を通るように注意しながら折れ線に対して垂直に直線を左右に引きます。これらの過程を「操作(そうさ)A」と呼ぶことにしましょう。人差し指を置いた地点を地点(1)と明確にする場合は、操作を「操作A(1)」と表し、この時に図が「対称」である場合は、「図は『操作A(1)』に関して対称である」と表現することにしたいと思います。
 次に、中央の折れ線に沿って図の端から端までn等分して印を付け、それぞれの印のそばに一番初めの端を1とし,それから順々に2,3,4,・・・・・,n+1と番号を付けましょう。これが済みましたら、それぞれの番号の印の地点を通るように、かつ、折れ線に垂直になるように直線を引きます。
 ここで、今考察している図(系)が「操作A(k):1≦k≦n+1」に関して対称であることを「数学的帰納法」を使って表現してみましょう。
 まず、k=1のとき、図はこの地点における「操作A(1)」に関して対称になっています。なぜなら、「始点」である地点1の左右が等しく「空集合」になっているからです。次に、折れ線上の任意の地点k=pにおいて図が「操作A(p)」に関して対称であるとき、仮定により連続して隣接するk=p+1においても図は「操作A(p+1)」に関して対称でなければなりません。すでに明らかなように、k=1のときに図は明らかに対称になっていますから、これで現在考察している図の1≦k≦n+1の範囲における「操作A(k)」に関する「対称性」を定性的に表現することができたと言えます。
 それではまた元に戻って、地球が半径rの完全に球状になっている場合を考えてみましょう。もちろん、地球の表面には陸地などが一切なく、湖が波もなくただ一様に広がっているものとします。今ここで、この湖面をボートが一そういかなる摩擦や抵抗も受けることなく、ただひたすら真西に向かって進んでいる場合を思い浮かべてください。もちろん、オールを一回漕いだだけで、後はボートにまったく力を入れていません。念のために、ボートに乗っている人は船の重心が変化しないように静かにじっと座っているものとします。さて、この時、ボートははたしてどこにたどり着くでしょうか。実は、もし地球上のA地点から真西に向かって進んでいるとすると、ボートは摩擦や抵抗といった「外力」を一切受けていませんので、「慣性の法則」にしたがって一定の速度でつねに真西に向かい、いつしか東の方から姿を現し、そしてついにA地点にぴったり到着するのです。地球の半径を6400kmとすると、これを2倍し、さらに3.14を掛けることによって、地球の中心を中心とする円周の長さが約40000kmとなります。ボートの進む速さを時速10kmとすると、40000÷10=4000時間=約167日、つまり、半年も掛からずにちょうど正確にA地点に戻って来るわけです。なぜでしょう。(2015.1.7)

(12/18),(12/21),(12/23),(12/30),(12/31),(1/4)


今問題になっているのは、地球が太陽の周りの公転軌道上を「円運動」しているにも関かわらず「等速直線運動」し、また、「わたし」とエレベーターは互いに「静止」することによって「わたし」がこの中でプカプカ浮いているにも関わらず、地球の中心に向かって「重力加速度」で「自由落下運動」していること、これらをどのようにしたら合理的に説明出来るかということです。太陽から地球の運動を観測すると、地球は「円運動」しています。ところが、地球上で地球の運動を観測すると、地球は「静止」しています。また、地球の表面に立ってエレベーターの運動を観測すると、それは「自由落下運動」しています。ところが、エレベーターの中で観測すると「わたし」はこの中でやはりほぼ「静止」しています。これらの運動の違いは観測する場所の違いによって発生していますので、明らかに「相対的」なものです。とすると、問題は観測者の立場に寄らないでこれらの問題を「統一的」に説明出来るようにするにはどうしたらいいか、その方法を考えることとなります。
 時々、中学生や高校生の方に「作用力と反作用力が釣り合って、外力がゼロになっているのにどうして物体は動き出すのか」と質問されることがあります。この問題を理解するために、たとえば、波のまったくない穏やかな日に湖でボートに乗っている場合をイメージしてみましょう。
 まず、ボートに乗っている人の体重を含めたボート全体の質量をM(kg)、地球の重力加速度を毎秒毎秒g(m)、ボートと水面との間の動摩擦係数をμ(ミュー)としましょう。これから、ボートに作用する動摩擦力はμMg(N)となります。この時に、ボートに乗っている人がオールを介して水に作用する力をF(N)、これによってボートに発生する加速度を毎秒毎秒α(m)としましょう。すると、ボートに関する運動方程式は実験座標系の原点を基準として次のように表されます。

   F-μMg=Mα.

 つまり、中高生の皆さんは、F=μMgの関係によってMα=0となり、さらに、M≠0よりα=0となるのに、なぜボートは動き出すのかと疑問を感じているわけです。
 ここで、注意しなければならない点があります。それはオールを漕ぐ力がボートを「静止」させる「摩擦力」(「最大摩擦力」)に達すると、この「摩擦力」が「動摩擦力」に変化し、その結果として、上式のFとμMgとの間で実験的に次の関係が成り立っているということです。

   F>μMg.

 つまり、オールの平面板が水を介してボートを前進させようとする力とボートを「静止」させ続けようとする力(「最大摩擦力)」とが等しくなった瞬間に、ボートと水との間の「動摩擦係数μ」が減少し始め、その結果、ボートは湖面を滑るようにゆっくり動き始めるわけです。
 言い換えると、ボートの外壁面と水面との間の「静止摩擦力」が「最大摩擦力」に達した瞬間、これらの間の「状態変化」によって(ここに自然の「神秘」が隠されています)、「静止摩擦力」がそれより力の小さな「動摩擦力」に変化するのです。つまり、F>μMgの関係が発生し、その結果、次の関係式が与えられ、だから、ボートは動き始めるわけです。

   α>(F-μMg)/M.

 確認しましょう。ボートは動き始めました。
 これからボートが湖面をずっと滑り続けられるようにするために、地球の表面全体が波のまったくないひじょうに穏やかな湖になっていると仮定しましょう。また、地球の中心から伸びている「重力線」が湖の水面と交わった任意の地点をAとしましょう。これで、波がまったくないという状態が、A点での湖面の接線が「重力線」に対して「垂直」になっていることを意味していることが分かります。たとえば、「重力線」に沿って湖面が上に凸の状態で盛り上がっていたとすると、A点の水の塊がプラスの位置エネルギーを持ち、このエネルギーが減少する際に隣接する任意の「重力線」上の水の塊に運動エネルギーと位置エネルギーを与え、これで波が発生することになるからです。また、反対に湖面が下に凸の状態になっていたとしましょう。すると、この地点の水の塊がマイナスの位置エネルギーを持ち、隣接する水の塊がプラスの位置エネルギーを持ち、結果として、エネルギーの移動が発生するからです。やはり、窪みに向かって周りから水が流入し、波が発生することになるからです。湖面に波が立たずにひじょうに穏やかな状態であるためには、A点で湖面の接線が「重力線」に対して「垂直」でなければならないことがお分かりいただけましたでしょうか。
 しかし、ここで大きな問題が発生します。それは「重力」は「重力線」として一本いっぽん区別して表現されるように、重力(ベクトル)に垂直な方向に対しては「不連続」なものなのか、それとも「連続的」なものなのかということです。この問題を分析するために、もう一度(2014.4.4)で考察した式OD=rcosθの意味を考えることからはじめたいと思います。
 また繰り返すことになりますが、まず、地球が完全な球の形をしていて、この球の表面全体を波のまったくない穏やかな湖が一様に覆っていると仮定しましょう。そしてこの球の中心Oからこの湖面までの距離をrとしましょう。またこれまで通り、この地球の中心から2本の「重力線」が互いに角θをなしてⅤ字型に伸びているものとし、かつ、このV字型の向かって右側の「重力線」が湖面と交わる点を点Aとしましょう。次に、この点Aにおける湖面の「接線」を延長し、この時にV字型の向かって左側の「重力線」と交わった点をCとします。さいごに、点Aから直線OCに垂直に引いた直線との交点をDとしましょう。以上の仮定の結果として得られるのが次の式でした。つまり、

   OD=rcosθ.

 考察を続けましょう。今、ボートの外壁と水との間に摩擦がまったくなく、ひじょうに滑らかだとしましょう。また、ボートと漕ぎ手の「わたし」を1つにした「重心」の位置もまったくずれない状態にあるとしましょう。このように仮定すると、ボートは「わたし」が一度オールを漕いだだけで、後はどこからも力を受けることがありませんので、一定の速度でそのまま「直進」することになります。
 さて、今ボートが一定の速度v(m/秒)でA地点を「重力線」を垂直に横切って通過しました。この時、「慣性の法則」にしたがって、速さと進行方向を変えずに進んだとすると、ボートは今モデルとして使っているV字型の「重力線」の向かって左側の直線のC地点に達することになります。
 ここでは、∠OAC=∠R、OA=rですから、したがって、

   OC=r/cosθ.

 一方、もう一度確認すると、点Aから引いた直線と左側の「重力線」とが垂直に交わる点をDとしたとき、ODとして上にすでに記した式が与えられるのでした。つまり、地球が球形であるために、ボートが∠θをなす二本の「重力線」から「重力線」に移動することによって、「慣性の法則」によって、湖面から上方向に次式で表される距離ℓだけボートの位置がずれてしまうことになるのです。つまり、

   ℓ=OC-OD=r/cosθ-rcosθ.

 ここで、問題が起こります。ボートは「慣性の法則」にしたがって点Aでの速度とまったく同じ速度v(m/秒)で点Cに達しているとき、つまり、「運動エネルギー」がC地点でもA地点と同じ値(Mv2/2)にあるとき、「位置エネルギー」だけが(Mgℓ)も増えているということです。この問題を解決する方法として、次のように考えてみましょう。それは、A地点を通過した直後から「位置エネルギー」が増大し、それと同時に、その分だけ「運動エネルギー」が減少する運動過程が発生し、しかし、ボートが隣接する「重力線」の方に接近するにしたがって、今度は「位置エネルギー」が徐々に減り、「運動エネルギー」が増大し始める運動過程に切り替わり、ボートの速度が少しずつ大きくなって、ついに、A地点と同じ速度vになった瞬間に、その速度ベクトルが「重力線」OCと点Dで垂直に交わり、こうしてボートは「重力線」から「重力線」へと「慣性の法則」と矛盾することなく湖面を滑らかに進むことが出来ていると考えることです。
 しかし、ここでも問題が起こります。それは「慣性の法則」にしたがってボートが「等速直線運動」をしているにもかかわらず、V字型の「重力線」から「重力線」に移動する過程で「位置エネルギー」と「運動エネルギー」が恣意的に増大したり減少したりしていることです。つまり、この過程にしたがって、ボートの速度が大きくなったり小さくなったりするのです。矛盾の発生です。この問題は∠θを小さくしていっても有限である限り、かならず発生します。お手上げです。何かいい方法がないものでしょうか。
 ありました。それは「時空間の対称性の原理」を使うことです。(2014.12.18)

(10/13),(10/18),(10/19),(10/23),(10/25),(10/27),(11/1),(11/3),(11/4),(11/10),(11/11),(11/13),(11/14),(11/16),(11/18),(11/20),(11/23),(11/29),(11/30),(12/1),(12/2),(12.3),(12/7),(12/14),(12/16),(12/17)(12.18)
※後の参考とするため、まとめるのに掛かった日数を残させていただきます。


●この「無重量状態」を次のように考えてみましょう。エレベーターに対する「わたし」の体の「重力加速度」は「毎秒毎秒0m」となっていますから、「わたし」の体に掛かる「重力」は「エレベーター」を基準にするとゼロになっていると言えます。つまり、「わたし」の体は「自由落下」しているエレベーターの中では「無重力状態」になっているとも言えるわけです。それでは次に、もう一つ別の考え方で「わたし」の体がエレベーターの中でプカプカ浮いている理由を考えてみましょう。
 「わたし」たちも知っているように、自然界には「慣性の法則」という法則があります。ちょっとだけおさらいをすると、これは「物体は、外から力を受けない限り(力を受けてもそれらの合力が0である限り)、静止し続けるか、あるいは等速直線運動を続ける」というものでした。たとえば、地球の「重力質量」をMkg、太陽によって発生する重力加速度を毎秒毎秒gmとすると地球に作用する「重力」F(N)はF=Mgとなり,地球の「慣性質量」をmkg,地球が公転軌道上を円運動することによって発生する加速度を毎秒毎秒amとすると地球に作用する「慣性力」f(N)はf=maとなります。地球が太陽の周りの公転軌道上を「円運動」しているにもかかわらず、「等速直線運動」しているように感じられるのは、これらの「重力」と「慣性力」が釣り合って、合力がゼロになっているからです。つまり、次の関係が成り立っているからです。

  Mg=ma.
  

 これと同じで、「わたし」たちの体に「重力」が作用すると、この作用によってやはり「わたし」たちの体に「慣性力」が重力と反対方向に発生し、これらが打ち消し合って合力がゼロとなり、その結果として、体は「静止」状態になっています。同様の考え方によってエレベーターも「静止」状態になっていて、こうしてエレベーターの中で互いに「静止」している結果として、「わたし」たちの体はこの中でプカプカしているわけです。
 しかし、ここで疑問が出て来ます。たとえば、地球の場合は「重力」と「慣性力」がほぼ釣り合って合力がゼロとなり、その結果として太陽の周りの公転軌道上を「円運動」しているにも関わらず「等速直線運動」しているのです。一方、エレベーターの中では「重力」と「慣性力」が釣り合って合力がゼロになって、「わたし」の体とエレベーターがお互いに「静止」状態になっているにも関わらず、これらの運動を地球の表面で観測すると自由落下加速度、つまり「重力加速度」で落下しているのです。「等速直線運動」ではないのです。繰り返しましょう。地球は太陽の周りを「円運動」しながら「等速直線運動」し、「わたし」とエレベーターは互いに「静止」しながら、地球の中心に向かって「重力加速度」で自由落下しているのです。何と不思議なことでしょう。いったいどのように考えたら、これらの違いを合理的に説明出来るでしょうか。(2014.10.13)
 

●それでは実験開始です。もちろん、観測者である「わたし」は地球に向かって「自由落下」し始めたエレベーターの中にいます。皆さんも、実況放送しているTVカメラを通してお分かりのように、「わたし」は今この中で完全にプカプカ浮いています。なぜ、このようにプカプカしていられるのでしょう。
 たとえば、エレベーターの天井にバネ秤を吊るし、それに「わたし」の安全ベルトに結んでいるヒモをつないで体重を測ってみましょう。さて、体重はいくらになっているでしょうか。地上で測定する時体重はいつも68kgですから、ここでもそうだと思われるかも知れません。しかし、残念ながら、違います。実は、バネ秤が示している「わたし」の体重は「0kg」なのです。つまり、「自由落下」しているエレベーターの中では「わたし」の体に重さがなくなっています。この状態をTVの画面を通して観測すると、観測者である皆さんから「わたし」が中でプカプカ浮いているように見えるわけです。
 確認しておきますが、「わたし」は今30階建てのビルの高さほどの大きさのエレベーターの天井近くでプカプカしています。1階の高さを3mとすると、エレベーターの高さは90mとなります。天井から下を見ると、床は100m走のゴールあたりに見えるわけです。スカイツリーの高さは「武蔵(六三四)」より634mですから、つまり、地上からその高さの7分の1の高さになった時に下を眺めた場合に感じられる高さの地点でプカプカしているわけです。うっかりしていましたが、このエレベーターの壁から壁までの距離は3mほどです。ここで体を少し回転させて、一方の壁を床にすると、3mの高さの所に天井があることになりますので、これでこの空間内での恐怖感が薄れ、楽しく実験できるというものです。なお、これは余談ですが、「30階もの高さのエレベーターが本当にあるの」と思われるかも知れませんが、「ある」と思えば「ある」のが「思考実験」の良いところなのです。
 それではさっそく、「プカプカ」の原因をもう少し深く考えてみましょう。まず、これまでに使っている手法をもう一度使ってみましょう。「わたし」の体を68等分して1kgの質量が68個あるとします。また、エレベーターの質量を仮に100万kg(1000t)としましょう。同様にして、この質量を100万等分して1kgの質量が100万個あるものとします。また、地球の重力加速度を毎秒毎秒gmとすると、「わたし」の1kgの部分に掛かる重力は1×g=g(N)となります。同様にして、エレベーターの1kgの部分に掛かる重力もg(N)となります。つまり、「わたし」の質量1kgの体のそれぞれの部分とエレベーターの質量1kgの物体のそれぞれの部分にまったく同じ力が加わっていることが分かります。だから、「わたし」とエレベーターはまったく同じ速度で落下しているわけです。
 問題はここです。「わたし」とエレベーターがまったく同じ速度で落下しているということは、「わたし」の体のエレベーターに対する「加速度」は0であるということです。地球上での「わたし」の「体重」は「質量」に「加速度」を掛けることによって求められます。これと同じ考えで、このエレベーターの中での「わたし」の「体重」は「質量」に「加速度」0を掛けることによって、「0kg」であることが分かります。つまり、「自由落下」しているエレベータの中では「わたし」の体に重さがないわけです。これが「プカプカ」の原因であって、実は、「わたし」たちはこの現象を一般に「無重量状態」と呼んでいます。(2014.9.18) 

●「重力質量」と「慣性質量」の両方の立場に立ってガリレイの実験を考察するために、ここでアインシュタインのエレベーターを使った「思考実験」をしてみましょう。
 まず、30階建ビルの高さほどあるエレベーターに「観測者」である「わたし」が乗ります。この実験は「精神的」にとても危険ですから、他の人にお願いするわけにいかないのです。というわけで、万全な安全態勢を取り、かつ内部の状態が逐一皆さんにお伝えできる準備ができましたので、さっそくスペースシャトルにエレベーターを地球の上空100kmの地点まで地表に対して垂直に運んでもらいましょう。うっかりしていましたが、これまで太陽を「重力源」として「思考実験」をして来ていますが、これだけは地球を「重力源」として実験させていただきたいと思います。
 高度の決定ですが、100kmの高さですと、計算するとエレベーターが「自由落下」の状態で地上に達するまでに約142秒ほどありますので、これで十分だと判断しました。もちろん、ISS(国際宇宙ステーション)が飛行している高度400kmの地点ですと、計算の時にルートの部分が見事に整数となって、とても計算しやすかったのですが、エレベーターが地表に対して垂直に上昇していますから、その高度に達した時にシャトルがブレーキを掛け、その瞬間に発生する「慣性力」によって、エレベーターを引っ張るワイヤーが引きちぎれ、そのままエレベーターが宇宙空間に放り出され、その結果「わたし」も宇宙空間の「藻屑(もくず)」となってしまうリスクがひじょうに大きいため、この高さに決定した次第です。
 前置きが長すぎると思われるかも知れませんが、あらゆるリスクを想定して準備していますのでお許しください。もちろん、文章を書いていると、言葉が次から次と溢れ出してくる喜びを楽しんでいることが要因となっていることも否定できません。どうかお認めくださいますように。(2014.9.5)

●今観測者である私たちの目の前には、2階の床面に開けた穴を中心にして、とても柔らかな材質の1枚で出来た布が放射線状に広がっています。これまでは地球を中心として「重力線」が四方八方に広がる場合を中心に考えてきましたが、これからは考えをもっと一般化することを目的として、地球から太陽に視点を移し、太陽の周りを地球が「石ころ」となって公転運動していると仮定して考察してまいりたいと思います。
 まず、現在行っている「思考実験」について説明すると、床面に開けた穴は太陽の「重力源」、
1枚の布は「四次元の時空間」を意味しています。この「四次元の時空間」である布が「重力源」の穴で最大に絞られ、この時に発生する布の「スジ」が「重力線」となって、放射線状に広がっているわけです。言い換えると、「四次元の時空間」は「重力源」の穴の周囲で最大に「収縮」し、この穴からの距離の2乗に反比例して「収縮」の度合いが徐々に弱くなっていると言えます。また、「重力源」の穴を中心にして布上に発生している「スジ(重力線)」の単位面積当たりの本数が穴からの距離の2乗に反比例して少なくなっていると言い換えてもいいでしょう。
 ここまで議論を進めて来て、ひじょうに大きな問題に直面します。それは「四次元の時空間」である布がいったいどのような性質を持っているのかということです。
 たとえば、私たちが物体の質量を正確に測るとき、いつも上皿天秤を使っています。質量の知りたい物体を左側の皿にのせ、右側の皿に物体の質量と釣り合うように重りをのせて行き、釣り合ったところで重りの合計を求めます。こうして得られた物体の質量を私たちは一般に「重力質量」と呼んでいます。ここで今度は同じ物体をヒモを使って天井からぶら下げてみましょう。準備が出来ましたら、この物体に対して一定の力Fを加え、この時に発生する加速度αを求めましょう。これらの値を運動方程式F=mαに代入して質量mを求めます。このようにして求められる質量を私たちは一般に「慣性質量」と呼んでいます。なお、この「重力質量」と「慣性質量」は等しいため、これらの何れをも指して一般に「質量」と呼んでいます。
 ここで、ガリレイが「ピサの斜塔」で行った実験を思い出してみましょう。もし空気抵抗等が全くなければ、すべての物体A,Bは同時に自由落下させた場合は同時に着地するのでした。A,Bの物体の質量をそれぞれmkg,4mkgとすると、これらにかかる重力は(重力加速度を毎秒毎秒gmとすると)mg(N),4mg(N)となります。ただ、4mkgの物体を4等分すると、それぞれの部分にmg(N)の力が加わっていますから、したがって、それぞれの部分が物体Aと全く同じ状態で自由落下しており、だから質量4mkgの物体Bは物体Aと同時に着地するわけです。
 しかし、残念ながら、この考察での質量は「重力質量」のことであって、「慣性質量」についてはまったく触れられていません。ガリレイの実験結果を「重力質量」と「慣性質量」の両方の質量を使って考えるとどうなるのでしょうか。次回はこの問題について考えてみましょう。(2014.8.26)

●これまで、互いに角θをなして地球の中心Oから宇宙空間に向かって放射線状に伸びている「重力線」をモデルとして重力を考察してまいりました。そして、角θから恣意的な解釈を取り除くためには「四次元の時空間が収縮している」と仮定し、これによって、「重力とは角θが微分的にゼロである『重力線』からなる『連続体』である」と仮定するのがもっとも合理的であると結論しました。
 ここで、さっそくですが、家具などがまったく置かれていない二階建ての建物の2階の床の中央に半径15センチ程度の穴を開けましょう。次に、穴の内側の面を摩擦が発生しないようОリング等を使って滑らかにし、これが済みましたら、ひじょうに柔らかな一枚の布で床面全体を覆います。これで準備ができました。それでは、さっそく実験開始です。
 あ、もう少し準備が必要でした。1階に行って穴の下に脚立を置かねばなりません。置きましたら、それに乗って、穴の中に手を入れて、布を親指と人差し指でしっかり摘みましょう。これで準備ができました。いよいよ実験開始です。
 布を穴の中から下に向かって、布に掛かる力が放射線方向にできるだけ均等になるようにしながら、真っ直ぐ引っ張ります。布が穴から50cmほど外に出ましたら、そこで引っ張るのを止めます。これで実験は終了です。それではまた2階に戻って、布の状態を観察してみましょう。
 どうでしょうか。穴を中心にして布に放射線状に筋が走っているのが見えますね。これで実験は成功しました。もしかすると、「そんなに単純なの?」とおっしゃるかも知れません。真理はつねに「単純」であり、であればこそ「美しく」、その美に魅かれてこうして今も「思考実験」を続けているのです。(2014.8.12)

●議論は続きます。どうして時空間が「歪んでいる」と考えた方が合理的なのか、この点をもう少し考えてみましょう。これまでの議論の過程でつねに頭にあるのは数式rcosθです(2014.4.13の文章を参照願います)。簡単に復習してみましょう。まず、地球(半径をRとします)の中心Oから発生している重力を2本の「重力線」でモデル化し、これがθの角をなしてV字型に伸びているものと仮定しました。次に、V字型の「重力線」の内の向かって右側の「重力線」上で地球の中心Oからrの距離にある点をAとしました(ただし、R<r)。この点Aの地点を石が「重力線」に垂直に通過し、「慣性の法則」にしたがってそのまま直進し、そして石の軌道がV字型の向かって左側の「重力線」と交わる点をCとしました。さいごに点Aから線分OC上に垂線を下し、交わった点をDとしました。以上の作図の結果得られたのがOD=rcosθでした。
 ここで、問題なのは、石がV字型をなす「重力線」の右側の「重力線」と交わった瞬間に角θがゼロに限りなく漸近出来るのかどうかということです。もしこの操作が可能であるなら、θ→0によってOD=rcosθ→rとなりますから、つねにOA=OD=rが成り立ち、石は人工衛星のように地球の周りを円状の軌道に沿って周回することに納得します。しかし、これだと「静的」な状態で互いにθの角をなして存在している「重力線」を物体が横切る瞬間にθが「わたしたち人間の都合に合わせ」て「恣意的」に「動的」にゼロとならなければなりません。とすると、「なぜゼロにならなければならないのか」、この理由を説明するために、「重力」に対してさらに別の解釈を付け加える必要性が出て来ます。結局、こうして、ただその場しのぎ的に解釈が行われ続けることになるのです。ところが、重力によって「四次元の時空間が収縮している」と解釈するとどうでしょう。重力は角θが微分的にゼロである「重力線」から成る「連続体」であると仮定するだけですべてが合理的に説明されるではありませんか。(2014.7.27)

●アインシュタインは1907年〜1915年にかけて等価原理(重力と慣性力が同じ性質を持っているという考え)をベースにして、時空間と物質を関連付ける「一般相対性理論」を研究していました。アインシュタインの『一般相対性理論の基礎』が世に出たのは1916年ですから、彼は約10年間この理論の研究をしていたわけです。ところで、この理論から重力場を記述する方程式が導かれ、太陽の重力場の中で光線が曲がることが予言されました。この予言は1919年にイギリスの天文学者A・エディントンが指揮する観測隊によるブラジルでの日食観測によって立証されました。星の光が太陽のそばを通るとき、太陽の巨大な重力によってアインシュタインが予言した通りの角度だけ曲がることが発見されたのです。これが根拠となって、私たちが存在する四次元の時空間が歪んでいると考えられるようになりました。さて、問題です。どうして歪んでいると考えられるのでしょうか。
 光はとても大切な性質を持っています。それは光が空間を最短距離を取って進むということです。これは、光が「直進する」ことを意味していますが、ところが、太陽の重力場の中ではその進路が曲がっているというわけです。これは、光が「光速」で進んでいる時は「質量」を持っていることで説明が付きます。つまり、太陽の重力場の中を光が最短距離で進むとき、太陽から出ている「重力線」に対してつねに「垂直」な状態で「直進」し、だから、軌道が曲がることになるということです。言い換えると、光は太陽の重力場の中を自然界の摂理である「最小作用の原理」にしたがってエネルギーの増減のないよう、「速度ベクトル」を「重力ベクトル」に対して垂直な状態を維持しながら「真っ直ぐに」進み、これを外側の観測者が観測すると「軌道が曲がって」見えるということです。もちろん、これは「光」固有の現象ではありません。すでにご存じのように、「わたし」たちが存在している「地球」にいたっては、つねに太陽の側に在って、軌道が「曲がる」どころか、その周りを円状の軌道にそってほぼ「等速直線運動」しているのですから。
 整理しましょう。星の場合をモデルとして、アインシュタインの理論を採り入れて考えると、「わたし」たちの地球の進行方向の長さが10億分の5だけ縮まっていることも、地球が太陽の周りを「円軌道」に沿って「等速直線運動」することが出来ていることも、時空間が「歪んでいる」と解釈すると、一遍に説明が付きます。つまり、「空間の歪み」はそれほどに合理的な解釈であるわけです。(2014.7.13)

●観測者が地球の外に立って地球の運動を観測することによって、地球が公転軌道上を時速10万3233kmのスピードで進んでいるために、地球の進行方向の(直径に平行な)長さが一様に10億分の5だけ縮んでいることが分かりました。これほどの割合ですと、地球は形をほとんど変えずに公転運動していると言えますが、しかし、ここでは割合の大小ではなく正にこの「収縮している」という事実が大切なのです。なお、地球上の観測者はこの収縮を観測することは出来ません。測定に使われる定規も測定される対象と同じ割合で収縮しているからです。
 さて、ここで問題が発生します。それは地球の進行方向の長さが「四次元の時空間」が収縮した結果として収縮しているのか、それとも「時空間」とは独立して地球だけが収縮しているのかということです。はて、この問題はどうすれば解決できるでしょう。悩みます。
 地球は公転軌道上を時速10万3233kmで疾走することによって、「遠心力」を発生させ、この力と太陽の「重力」とが釣り合い、結果として、地球に対する外力が「見掛け上」ほぼゼロとなっています。この外力がゼロであるために、地球は「慣性の法則」によって公転軌道上を「円運動」しているにもかかわらず、「等速直線運動」をしているのです。このおかげで、「わたし」たちは地球が「静止」していると錯覚して、日々つつがなく暮らすことが出来ています。
 もう一度繰り返すことになりますが、地球は「円運動」をしながら「等速直線運動」をするメカニズムを「自然の摂理」として持っています。このパラドクス的な問題を地球の進行方向の長さが「収縮」することと「重力」の問題を絡めて「幾何学的」に解決すること、これがここでの最大の問題となっています。
 この問題を考えるために、ここでもう一度観測者に地球の外に立ってもらい、今度は地球の中にある時計と自分の腕時計とを比べることによって、時間の歩みがどのようになっているか調べてもらいましょう。実は、この時、観測者は「地球に設置している時計の方が歩みが遅くなっている」と言います。この現象は地球上でも実際に確かめることができます。たとえば、現代の素粒子物理学の基礎を築いた湯川秀樹博士の時代の頃は、現在のような高エネルギーの分野で使われているような加速器がなかったので、研究者は大気の薄い高い山に登って、そこで宇宙空間から飛来する粒子を写真乾板でキャッチすることによって素粒子の性質を調べていました。地球上ですと瞬間的に消滅してしまう粒子が、宇宙空間を光速に近いスピードで飛び回っているため、粒子が固有に持っている時間の歩みが遅れ、つまり寿命が延びているため、このおかげで地球にやって来る素粒子は粒子としての痕跡を乾板に残すことが出来るからです。これと同じ現象で、地球の公転速度が大きくなればなるほど、地球の中の固有時間の歩みも遅くなっているわけです。(2014.6.1記)

●与えられた式をもう一度書いてみましょう。

  L=L0×(9999.99995/10000).

 ここで、上式のカッコの中の数の分母、分子に100000を掛けて小数点を取り除いてしまいましょう。すると、

  L=L0×(999999995/1000000000).

 この式の意味を解釈すると、次のようになります。すなわち、

 地球上の観測者が地球の進行方向に沿って測定して得られた地球の直径L0を地球の外から観測している観測者が測定すると、その値LがL0の10億分の9億9999万9995になっている、つまり、地球の外の観測者が地球の直径を測定すると、地球の進行方向の直径が10億分の5だけ縮まっている、

 と、なります。
 今読み直してみますと、区切りとしてちょうどいいようですので、ここで一区切りとしたいと思います。(2014.5.6記)

●話しは続きます。まず、次の式が与えられました。すなわち、OD=rcosθ。ここで、θを限りなくゼロに漸近させることによって、OA=OD=rが与えられました。これはθをつねに瞬間的にゼロに漸近させる操作をし続けると、石は地球の中心からrの位置を保ったまま地球の周りを周回し続けることができることを意味しています。しかし、θをゼロに漸近させる操作はこちら勝手の「思弁的」なもの。自然現象ではありません。この操作のモデルとなれる現象を自然界から何としても見つけ出さねばなりません。そうでないとこれまでの議論が水の泡になってしまうのです。何かないでしょうか。ありました。
 ここで、地球を太陽に、石ころを地球に対応させて問題をもっと具体的に考えてみたいと思います。この関係に対して次の「ローレンツ収縮」を応用してみましょう。つまり、

  L=L0{1-(v/c)2}1/2.

 ただし、L0は地球の進行方向の直径を観測者が地球上で測定した値、Lは観測者が地球の外に立って、地球の進行方向の地球の直径を測定した値、vは地球の公転速度(10万3233km/時)、cは光の速度(30万km/秒)です。
 まず、地球の公転速度を3600で割って、光の速度と同じ単位に直してみましょう。すると、

  v=10万3233km/3600秒=28.68(km/秒).

 次に、cとvの値を(v/c)2に代入し、計算してみましょう。すると、

  (v/c)2=(28.68/300000)2=9.14×10の(-9乗).

 次に、この値を1から引いて、最後に得られた値の平方根を求めましょう。すると、

  {1-(v/c)2}1/2
  ={1-9.14/1000000000}1/2={999999990.96/1000000000}1/2
  =9999.99995/10000.

 以上により、次の式が得られました。

  L=L0×(9999.99995/10000).

 さて、この式はいったいどういうことを意味しているのでしょうか。(2014.4.26記)

●現在、地球の中心Oを始点として伸びる重力線分上に点Aを取り、この点に石が瞬間的に存在しているものと仮定して、議論を展開しています(ただし、地球の半径OB=R,OA=rとし、R<rとしています)。議論に際しては、始点Oから重力線分OAに対して反時計回りの方向にθの角(任意)をなしてV字型になるようにもう一本重力線分を引きました。また、石の速度ベクトルを線分OAと点Aで垂直に交差した状態で延長し、新たに引いた重力線分と交わる点をCとしました。さらに、点Aからこの重力線分OCに対して垂直に直線を引き、交わった点をDとしました。以上の条件の下で計算をした結果、次の関係式が得られました。すなわち、

   OD=rcosθ.

 さて、この式からどのようなことが分かるのでしょう。
 θは地球の中心Oを始点としてV字型に描いた2本の重力線分のなす角でした。ここで、このθの値を限りなくゼロに近付けてみましょう。すると、cosθは1に近付き、そしてついに次のようになるではありませんか。

   OA=OD=r.

 ここで、疑問が生じます。それは、ここで行ったθをゼロに漸近させる操作をモデル的に対応できる操作がはたしてあるのかということです。(2014.4.13記)

●お手数をお掛けしますが、(2014.3.27)の文章にしたがって作図していただけているものと判断し、話を進めさせていただきます。まず、ΔOACと△ADCが相似の関係にあることから、∠AOC=∠CAD=θが成り立ち、また、AC=b,CD=Δrとしていますから、したがって、△ADCにおいて、sinθ=Δr/b. これより、Δr=bsinθ.次に、△OACにおいて、OC=a,OA=rとしていますから、したがって、cosθ=r/a.これより、a=r/cosθ.以上の計算により、次の式が与えられます。すなわち、

   OD=a-Δr=r/cosθ-bsinθ.

 一方、tanθ=AC/OA=b/rが成り立ちますから、したがって、b=rtanθ.この式を上式に代入しbを消去し、さらに式を簡単にすると、

   OD=r/cosθ-rtanθsinθ=r/cosθ-r(sinθ/cosθ)sinθ
                 =r/cosθ-r(sinθ)2/cosθ
                 =r/cosθ{1-(sinθ)2}
                 =r/cosθ(cosθ)2
                 =rcosθ.
 
 この計算過程を見て、何と回りくどいことをしているのだろうと思われたことと思います。なぜなら、△OADにおいて、cosθ=OD/rの関係が成り立ち、これより、OD=rcosθが直接求められるからです。
 しかし、ここで大切なのは「慣性の法則」の概念を入れて考察することなのです。つまり、別の観点からOD=rcosθが得られることによって、これまでの思考過程が正しいことが証明されたわけです。(2014.4.4記)

●途中から文章をお読みくださっている方のために、地球の中心をOとした図をもう一度描いてみましょう。地球の中心をOとして半径R(任意)の円を描きます。また点Oを始点として2本の「重力線分」を角θ(任意)をなしてⅤ字型に描きます。向かって右側の重力線分が半径Rの地球の円周と交わる点をB、また点Bよりさらに上の中心Oよりrの距離の地点に点Aを取り、今石が速度ベクトルがこの地点で重力線分OAに対して垂直になった状態で位置しているものとします(お願い:作図をしながらお読みくださいますように)。
 次に、石が「慣性の法則」にしたがってそのままもう一方の重力線分に向かって進み、この線分と交わる点をCとします。確認しますが、ここでは線分OAと線分ACは互いに垂直な関係にあります。また、点Aから重力線分OCに対して垂直になるように線を引き、交わった点をDとします。これで考察に必要な図形は完成しましたが、さいごに、OC=a,CD=Δr,AC=bとし、また、念のために、OA=r,OB=R,∠AOD=∠CAD=θであることを確認したいと思います。
 もう一度、中学で習う「相似」の関係を使って考えてみましょう。2本の重力線分のなす角θをゼロに近付けると、石の速度ベクトルACは重力線分OCに垂直な線分ADに限りなく近付いて行くことが分かります。中学生の皆さんには申し訳ありませんが、せっかくですから、この問題を高校で習う「三角関数」の考えも使って分析してみましょう。(2014.3.27記)

●それでは、次に一定の速度ベクトルを持った石が重力線分OAと点Aで垂直に交差した後の運動について考察することにしましょう。すでにお話していることですが、ここでもう一度地球の中心Oを始点として二本の重力線分が角θをなしてV字型に伸びているモデルをイメージしたいと思います。
 まず、石が点Aを通過した後にもう一方の重力線分と交わる点をCとしましょう。ここで、注意しなければならないとても大切な考えがあります。それは、石は点Aを通過した後も「慣性の法則」にしたがってそれまでと同じ状態を維持して運動するため、線分CAは重力線分OAと垂直の関係にあるということです。
 ここでさらに進んで、点Aから重力線分OCに垂線を下ろし、交わった点をDとしましょう。この段階で△OACと△ADCの関係を調べてみたいと思います。まず、∠OAC=∠ADC=∠R.また、∠OCA=∠ACD(共通)です。2つの角がそれぞれ等しいので、したがって、△OAC∽△ADCの関係が成り立ちます。これより、もう一度確認しますと、点Oを始点としてV字型に伸びる2本の重力線分のなす角をθとしていますので、したがって、∠CAD=θであることが分かります。
 話をさらに進めましょう。地球の中心を始点としたV字型の2本の重力線分のなす角θをゆっくりゼロに近づけてみたいと思います。どうなるでしょうか。繰り返しますが、△OACと△ADCは相似の関係にあって、∠CAD=θですから、したがって、∠CADも限りなくゼロに近づくものと考えられます。
 もちろん、この考えはθのみをパラメータとした場合の「直観的考え」ですから、はたして一般的にそう言えるかどうかまだ分かりません。(2014.3.19記)

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●ここで、重力を図式化した線分(これから、これを重力線分と呼ぶことにしましょう)に対して石が進む方向について考えてみましょう。まず、石が重力線分OA上の点Aと交差するとき、石の速度ベクトルが重力線分OAと垂直になるものとします。この点Aを基準として石がさらにここからΔLの距離だけ上の地点を通過したとしましょう。これは石に対してこの距離だけずれるだけの外力が加わっていることを意味します。外力としては重力しか考えていませんので、ここではこのような現象は不可能であることが分かります(ただし、この問題は別の観点から詳述しなければなりません)。それでは今度は石が点Aから下側のΔLの地点を通過したものとしましょう。これは石の位置エネルギーがΔL分だけ減少し、その分の運動エネルギーが増大するように外力が加わっていることを意味していますので、点Aと交差する直前になっての方向転換の可能性はやはり否定されます。
 実は、自然界にはひじょうにすばらしい原理があります。それはフランスの数学者で物理学者でもあったP・モーペルチュイが1744年に発表した「最小作用の原理」です。つまり、「自然はもっとも節約した経路をとる」という考えがそれです。この原理にしたがうと、石の速度ベクトルが重力線分と点Aで垂直に交差する時が正にその時で、この地点でこの状態が保たれることによって石のエネルギーが増加したり減少したりすることなく、ひじょうに安定した状態を維持できているのです。(2014.3.9記)

●それではいよいよ、また考察に入りましょう。まず、地球の重力を図式化した線分OAに注目します。今点Aにある石がこの線分に沿って運動するものとしましょう。この線分が地表と交わる点Bを基準として石が点Aからさらに上空に移動する場合、石は位置エネルギーが増大し、運動エネルギーが減少するように運動します。石が地表に向かって運動する場合はどうでしょう。この場合、石は位置エネルギーが減少し、運動エネルギーが増大するように運動することになります。つまり、石は重力の作用を受けることによって、エネルギーが変化しているわけです。
 ここで、前者の石が上空に向かって移動する場合をもう少し考えてみましょう。この石に対して重力以外の外力が作用していないとすると、石の位置エネルギーが増大し続け、最終的に運動エネルギーがゼロとなります。その地点で石の運動方向が変わり、つまり、地表に向かって運動エネルギーを増大させながら、落下することになります。このように考えると、上空に向かっての運動も、地表に向かって運動する場合の運動の一部であると考えられます。つまり、重力の作用を受け続けている限り、石は結局は地上に落下することになるわけです。
 しかし、それでも地上に落下することなく、地表から点Aまでの高度を維持して地球の周りを半永久的に回り続けている石があるとすると(たとえば、地球の周りを回り続けている「宇宙ゴミ」など)、いったいどのような条件によってそのような状態が保たれているのでしょう。次はこの問題を考えてみたいと思います。(2014.3.2記)

●石が赤道上空を安定して周回するために、つまり、地上に落下しないようにするために石にエネルギーを供給しなければならないとすると、さて、この人工的に不可能な条件を実現するための方法としてどんな方法があるでしょう。それはそうと、はたしてそのような方法があるのでしょうか。不思議に思われるかも知れませんが、実はあるのです。紹介しましょう。
 まず、ここで文章の流れに従って図を書いてみましょう。はじめに、平面上に点Oを記します。この点を中心として適当な長さで半径Rの円を描きます。この円を地球としましょう。次に、中心Oから上に向かって半径Rの円を横切って長さrの線分OAを引きます(ただし、r>R)。さらに、半径Rの円と線分OAとの交点をBとします。そしてここです。地球の表面上の地点Bの真上の地点Aに石が存在するものとするのです。
 次に、点Oを始点として線分OAとV字型になるように線分OCを引きます。ここで、線分OAとOCのなす角をθとします。これで準備ができました。線分OAとOCを地球の中心から伸びている「重力」と仮定して次の考察に入りたいと思います。(2014.2.16記)

●石が地上に落下するまでの時間と横の速度成分とを掛けた値が赤道一周の長さより短ければ、石が地上に落下することが分かりました。考える観点を変えてもう少し詳しく表現すると、つまり、反対に、上向きをプラスとした縦の速度成分がゼロになるまでの間に横の速度成分によって石が赤道を半周し、次に、最大高度に達して向きがマイナスに代わり、その地点から縦方向の高度がゼロになるまでの間に残りの半周を通過出来ていれば、石は地上に落下しないで済むわけです。しかし、よく考えると、これは必要条件であって十分とは言えません。なぜなら、赤道上を何周もしていて、ついに地上に落下するケースが人工衛星などで時々あるからです。そうならないためには、たとえば、石が赤道上を一周して出発点に戻った瞬間に、横方向の速度成分を変えることなく、縦方向の速度成分がこれまでと(初速度における縦方向の速度成分と)同じ値になるように石に再びエネルギーを与える必要があります。これが可能であれば、石は人工的に安定して赤道上を周回していると言えます。もちろん、これは無理な話で、出来るわけがありません。(2014.2.2記)

●ところで、石ころを空に向かって投げたとき、どうしてそれは地上に落ちてくるのでしょう。この問題をもう少し深く考えるために、まず、石ころに与えられた速度を地表に対して平行な方向のベクトル(横の速度成分と呼びます)と地表に対して垂直な方向のベクトル(縦の速度成分と呼びます)に分解してみましょう。なお、この実験は赤道上で行われているものとします。横の速度成分がゼロである場合、石はちょうど基準地点の真上に向かって投げられた状態にありますから、地球の重力圏を脱出できるほどのエネルギーが初めに与えられていない限り、石はかならず地上に落下してくることになります。それでは次に、横の速度成分にもある値を与えてみましょう。すると、縦の速度成分によって決定される地上に落下するまでの時間と横の速度成分との積によって与えられる距離だけ基準地点から離れた地点に石は落下することになります。つまり、このことから、石が地上に落下するまでの時間と横の速度成分とを掛けた値が赤道一周の長さより短ければ、石が地上に落ちてくることが分かります。(2014.1.26記)

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、ニュートンの登場によって自然科学は目覚ましく進歩しました。特に、日常的に使われている「加速度」と「重力加速度」が同一の性質を持っているということを理論的に明らかにしたことはひじょうに大きな進歩でした。これで物体を円軌道上を回転させることによって「重力加速度」と等しい「加速度」を人工的に発生させることが出来ることが分かったのですから。
 ここで、石ころを使ってニュートンの「思考実験」としてよく知られている実験をしてみましょう。まず、石を投げてみましょう。もちろん、石は地面に落ちてきます。それではもう少し初速度を大きくして投げてみましょう。言うまでもなく、もう少し時間が長く経ってから地面に落ちてきます。こうして初速度を大きくして実験を繰り返していたら、石はさいごにどうなるでしょうか。そうです、石はさいごには地面に落下せずに地球の周りを人工衛星のように回り続けることになるのです。このことをニュートンは頭の中の「実験室」で実証して見せたのでした。
 もう少し実験を続けましょう。石ころの初速度をさらにもっと大きくしてみましょう。さて石ころはどうなるでしょうか。そうです。石は地球の重力に打ち勝って宇宙空間に飛び出して行ってしまいます。つまり、地球が石を引っ張ることによって発生する「重力加速度」と石をある初速度で投げた時に発生する人工的な「加速度」とが等しい状態に保たれているから、石は地球の周りの軌道を回り続けているわけです。(2014.1.5記)

 
ガリレイはコペルニクスの「地動説」を支持し、その正しさを「相対性原理」をベースに証明しました。しかし、宗教裁判所に呼び出され、そしてこの学説を放棄するよう命じられました。ガリレイの「それでも地球は動いている」はよく知られている言葉ですが、その後余生をフィレンツェの市外で送り、1642年1月8日、その生涯を終えるのでした。何と言うことでしょう。この年の12月25日、まるでガリレイの理論を体系化するかのように誕生する人がいるではありませんか。そうです。ニュートン、その人です。なお、この年はコペルニクスが亡くなってちょうど100年目の年でもあり、こうしたことからニュートンは何かとても因縁深い関係を持って誕生した人と思う人もいるほどでした。
 たとえば、「重力」のアイデアはすでにガリレイによって生まれていました。これを「万有引力の法則」として一般化したのがニュートンでした。また、ニュートンは「加速度」を数学的に分析し、そして「加速度」と「重力加速度」が同一の性質を持っていることを明らかにしました。これによって「慣性の法則」を数学的に具体化することが可能となり、そしてついにコペルニクスの「地動説」の正しさが理論的に証明されたのですから、無理もありません。(2013.12.29記)

前回はガリレイが発見した「慣性運動」についてお話しました。次に、やはりガリレイが発見した「相対性原理」について考えてみましょう。この原理は「慣性運動」が土台となって発見されました。たとえば、一定の速度で運動している電車の中で、二人の少年が互いに向き合って立ち、そしてサッカーボールをやり取りしているとしましょう。この時のボールの運動を地上で観測出来るものとした場合、一体どのように見えるでしょうか。もちろん、ボールの運動に電車の運動が加わりますから、かなり複雑な運動になります。それでは観測者も少年たちの側でボールを観測する場合はどうでしょう。この場合は、だれもが経験しているように、ボールは電車が停車している状態の中での運動とまったく同じ運動をしています。つまり、この「思考実験」からも明らかなように、ガリレイは、「電車」が「等速度」で運動している限り、「ボール」は「電車」が「静止」している時とまったく同じ運動をしている、と定式化したのでした。「電車」が「等速度」で運動している場合、速度は観測者の立場によって変化する「相対的」なものであって、このような状態でも「ボール」は速度に関係なくつねに同じ運動をしているというわけです。これがガリレイの「相対性原理」なのです。
 まだ、現代のように電車など存在していない時代に、ガリレイはこのようなすばらしい発見をし、そればかりか、この原理を根拠にコペルニクスの「地動説」の正しさをも証明したのです。ガリレイの科学者としての偉大さがひしひしと感じられます。(2013.12.22記


さて、ガリレイ(1564年〜1642年)はどのようにしてコペルニクスの「地動説」の正しさを説明したのでしょうか。まず、ガリレイは次のような「思考実験」を行いました。今、なめらかな坂を上に向かって球を転がしたとしましょう。この場合、球はどのような運動をするでしょうか。そうです。速度がだんだん小さくなっていきます。それでは、坂の上から球を転がした場合はどうでしょう。速度がだんだん大きくなっていきます。そして、このことからガリレイは次のような結論を導きました。それは「球がなめらかな水平面を進む場合は、坂を上りも下りもしないのだから、進行方向に力を加えなくても、球の速度は変わらないはずだ」ということです。
 実は、ガリレイの時代になっても約2000年前のアリストテレスの学説が一般に常識として受け入れられていました。それは、「(水平面上で)物体に運動を続けさせるためには、たえず力を加えなければならない」という説です。上に述べたガリレイの「思考実験」はこの説を否定するために行われたものでした。物体に運動を続けさせるために力を加えねばならないのは、物体と水平面との間に「摩擦」があるからであって、もし摩擦がなければ、物体がつねに一定の速度で運動し続けることが彼の実験で明らかになったわけです。これがガリレイが発見した「慣性運動」で、ニュートンはこれを土台にして「慣性の法則」を導き出すのでした。
 申し訳ありませんが、ガリレイの「相対性原理」についてのお話は次回にさせていただきます(2013.12.15記)。

 
コペルニクスは天体を観測することによって、惑星の中にそれまでの運動(「順行運動)が反対方向の運動(「逆行運動」)に変化するものがあることを知りました。教会でカノンとしての職に就いて人々の悩みを聞きながら、その合間を見て惑星の運動を研究し、そしてついにコペルニクスは、この「順行」と「逆行」の運動を地球が「自転」し、かつ太陽の周りを「公転」していると考えると解決することに気付きました。こうして「地動説」が誕生したのでした。
 しかし、コペルニクスの説は教会の考えと対立するものでした。そればかりか、何世紀にもわたって一般に常識として定着していた運動に関するアリストテレスの学説とも闘う宿命を負うことになるのです。これらの問題が解決し、自分の考えが一般に受け入れられるためには、前回もお話ししましたが、コペルニクスが亡くなって100年後のガリレイの登場を待たねばなりませんでした。
 次回はニュートンが公式化した「慣性の法則」の土台に横たわるガリレイの「慣性運動」と「相対性原理」の観点から、コペルニクスの「地動説」を考えてみましょう。(2013.12.8)


私たちにとってとても大切な「泉」である地球をちょっと観測してみましょう。だれにも明らかなように、地球は「静止」した状態にあります。このためプラトンの弟子であったアリストテレス(前384年〜前322年)、それから彼から約500年後に活躍したプトレマイオス(100年頃〜170年頃)が主張する「天体は地球を中心に運動している」という考え、つまり「天動説」が常識的な考えとして一般に受け入れられていました。ところがどうでしょう。彼らが活躍した時代から1000年以上も経った後のことでした。それまでの人々の常識を根本からひっくり返してしまうほどのとても大きな学説が発表されたのでした。「地球は他の惑星と一緒に太陽の周りを回っているごくふつうの惑星である」という説、つまりコペルニクス(1473年〜1543年)が発表した「地動説」がそれです。しかし、だれが観測しても太陽は東から昇って西に沈む運動を毎日繰り返しているのです。コペルニクスの説が受け入れられるためには、それから100年後のニュートンの「慣性の法則」の概念の登場を待たねばなりませんでした。(2013.12.1)

物理学の法則の中でもっとも美しい法則、それは「慣性の法則」です。これはガリレオ・ガリレイが自然に問い掛けるための手段としての「実験」とそれまでの科学的な成果を集大成化することによって獲得した考えで、さらにニュートンの手によって「運動の第一法則」として正式に公式化されたのでした。
 この法則は中学3年の理科で学んでいますが、ここで簡単におさらいをしておきましょう。つまり、「慣性の法則」とは、

 「外力が働かないかぎり物体は等速直線運動(速度が0の場合は静止状態)を続ける」

 です。
 科学がまだ哲学の領域にあったプラトンの時代(紀元前約400年頃)からガリレイの時代(約1600年頃)までの約2000年間、多くの哲学者、科学者が「運動」についてあれこれ考え、そしてついにニュートンによって上記の法則のようにまとめ上げられたのでした。
 この法則はとても奥深い意味を持っています。次回からいよいよこの法則の意味をジックリ味わってまいりたいと思います。(2013.11.24)

これまで、太陽と地球の間に働く「万有引力」、公転軌道上において地球に作用する「遠心力」の値にこだわって次のような有効数字三桁までの値を何とか求めることができました。すなわち、

 「万有引力」F=3.52×10の22乗(N),
 「遠心力」 f=3.56×10の22乗(N).

 これでも後者の「遠心力」の方がまだ幾分大きな数値となっています。
 原因の一つとして、たとえば、地球と月を1つとして考えた場合、月が「満月」の状態にある時は地球の「重心」が太陽よりもっと遠ざかった地点になっていること、また逆に「新月」の状態にある時は「重心」がもっと太陽寄りになっていることが考えられます。たったこれだけで、地球の公転速度がつねに微妙に変化していることが分かるのです。
 また、たとえば、地球が太陽にもっとも近付いた地点「近日点」における速度、太陽からもっとも遠ざかった地点「遠日点」における速度を考えただけでも、速度がつねに一定の状態でないことが分かります。
 つまり、地球がこのたった今も時速約10万8000kmで公転軌道上を疾走していると言っても、この速度は平均的なものなのです。以上、簡単に考察して来ましたが、「万有引力」と「遠心力」にこれほどの違いがあっても、地球はこれを意に介さず、私たちに「泉」として安らかな環境をもたらしているわけです。(2013.11.17)


前回もう一度計算し直すことによって、太陽と地球の間に働く「万有引力」がF(N)=3.52×10の22乗(N)、また地球の公転軌道上における遠心力がf(N)=3.56×10の22乗(N)であることが分かりました。前前回はこれらの数値が有効数字の二桁目で大きく食い違ってしまっていましたので、その原因を見出すために前回このような作業を繰り返したのでした。前回の計算でも後者の遠心力の三桁目の数値が0〜4に収まってくれれば文句はなかったのですが、この点はお許し願いたいと思います。
 さて、原因はいったいどこにあったのでしょう。じつは、私は太陽から地球に光が届く時間を8分として計算していました。もう少し正確に計算しなければなりませんでした。
 「理科年表」で地球から太陽までの距離が1.50×10の11乗(m)であることを確認しましたので、これを光の速度で割ることによって正確な時間を求めておきましょう。1.50×10の11乗(m)=1.50×10の8乗(km)、また光の速度は30万(km/秒)すなわち、3.00×10の5乗(km/秒)ですから、したがって、

 1.50×10の8乗÷(3.00×10の5乗)=500(秒)=8.33(分).

 光は8分ではなく8.33分かかって地球に届いているのでした。まずはこれで万有引力と遠心力がほぼ等しいことはお分かりいただけたと思います。それでは次回から次の段階に入ることにしましょう。(2013.11.10)

前回に続き、太陽から地球までの距離rを1.50×10の11乗(m)としましょう。それではいよいよ、太陽と地球との間に働いている「万有引力」F(N)を求めます。「万有引力定数」Gは6.67×10の(-11乗)(Nm2/kg2),太陽の質量Mは1.99×10の30乗(kg),地球の質量mは5.97×10の24乗(kg)ですから、これらの値を次の公式、

  F=GmM/r2.
 
 に代入すると、したがって、
 
 F=6.67×10の(-11乗)×5.97×10の24乗×1.99×10の30乗÷(1.50×10の11乗)2
  =79.2×10の43乗÷(2.25×10の22乗)
  =35.2×10の21乗
  =3.52×10の22乗(N).
 
 以上の計算によって、「万有引力」Fが3.52×10の22乗(N)であることが分かりました。
次回はこれまでに得られた「遠心力」と「万有引力」の数値の比較検討です。(2013.11.3)


それではさっそく、太陽から地球までの距離rを1.50×10の11乗(m)として計算をし直してみましょう。まず、公転軌道上での地球の速度vですが、rを2倍し、これに3.14を掛け、得られた値を365日で割って、さらに24で割り、続けて60で割って、もう一度60割り、こうして単位を(m/秒)で表すと、

 v=1.50×10の11乗×2×3.14÷365÷24÷60÷60
  =1.50×10の11乗×2×3.14÷(365×24×60×60)
  =9.42×10の11乗÷(3.15×10の7乗)
  =2.99×10の4乗(m/秒).

 この値とrの値を公式f=mv2/r(N)に代入して地球の「遠心力」を計算してみましょう。ただし、mは地球の質量で5.97×10の24乗(kg)です。すると、

 f=5.97×10の24乗×(2.99×10の4乗)2÷(1.50×10の11乗)
  =3.56×10の22乗(N).

 かなり細かく計算していると思われるかも知れませんが、中学生あたりの方から理解していただきたいと祈りつつ書いておりますので、この点はご容赦願いたいと思います。
 次回はもう一度「万有引力」を検証してみましょう。(2013.10.27)


これまでの計算で、太陽の周りの公転軌道上で地球に働く「遠心力」fが3.42×10の22乗(N),また太陽と地球との間に働く「万有引力」Fが3.83×10の22乗(N)であることが分かりました。
これらの数字を比較すると、有効数字の二桁目が大きく違っていることが分かります。いったいどうしてでしょうか。
 まず、太陽と地球との間の距離r(m)ですが、これには太陽と地球の半径が入っていません。このrの値に太陽と地球の半径を加えてみましょう。太陽の半径=69万6000(km)=6.96×10の5乗(km)=6.96×10の8乗(m),地球の半径=6380(km)=6.38×10の3乗(km)=6.38×10の6乗(m)ですから、これらの値を加えて新たに得られる値をr’とすると、

 r’=1.44×10の11乗+6.96×10の8乗+6.38×10の6乗
  =1.44×10の11乗+0.00696×10の11乗+0.0000638×10の11乗
  =(1.44+0.00696+0.0000638)×10の11乗
  =1.4470238×10の11乗
  =1.45×10の11乗(m).

 しかし、残念ながら、上の計算から明らかなように、太陽と地球の半径を加えても得られた値は有効数字の三桁目がわずかに変化しているにすぎません。
 ここで、「理科年表」を調べてみましょう。すると、太陽から地球までの距離rが平均して1.50×10の8乗(km)=1.50×10の11乗(m)であることが分かります。どうやら、この値を使ってもう一度計算し直した方がいいようです。(2013.10.20)

前回は太陽の周りの公転軌道上で発生している地球の「遠心力」fを求めました。その結果、f=3.42×10の22乗(N)であることが分かりました。
 次の段階として、太陽と地球の間に働いている「万有引力」Fを求めてみましょう。この値を求めるために次の「万有引力の法則」を使いたいと思います。すなわち、

 F=GmM/r2.

 ここで、Gは「万有引力定数」で6.67×10の(-11)乗(Nm2/kg2),Mは太陽の質量で1.99×10の30乗(kg)です。これらの値の他にr=1.44×10の11乗(m),m=5.97×10の24乗(kg)を上式に代入し、そしてF(N)を求めます。すると、

 F=3.83×10の22乗(N).
 
 計算して結果が得られたのはいいのですが、残念ながら、有効数字の二桁目が大きく違っています。本来ならfとFがほぼ等しくなければなりません。次回はまずこの問題を解決し、それから先に進むことにしましょう。(2013.10.13)

何度も繰り返して、本当に恐縮ですが、しかし、やはりどう考えても「わたし」たちは神秘の世界に生きていると考えざるをえません。何しろ、「わたし」たちの「泉」であるこの地球はこのたった今も時速約10万kmもの猛スピードで太陽の周りを回っているのですから。そうでありながら、地球は「わたし」たちに対して「静止」した状態にあって、こうして精神的、肉体的な安らぎをもたらしてくれているのです。どうしてこのような現象が可能なのでしょう。
 たとえば、前回、光が太陽から地球に届くまでの時間を使って、太陽から地球までの距離と公転速度を求めました。前者をr(m)、後者をv(m/秒)として、まず単位を変えることによってそれぞれの値を次のように計算してみましょう。はじめに、rから計算します。

 r=1億4400万(km)×1000=1.44×10の11乗(m).

 次に、vを計算します。

 v=10.3233万km/時=103233×1000÷3600=2.87×10の4乗(m/秒).

 ここで、地球の質量をm(=5.97×10の24乗kg)、地球が公転軌道上を運動している際に地球に作用する遠心力をf(N:ニュートン)としましょう。f,m,r,vの間には次の関係があります。すなわち、

 f=mv2/r.

 この式に上に与えられた数値をそれぞれ代入して計算します。すると、

 f=3.42×10の22乗(N).
 
 次回は、太陽と地球との間に働く引力を求めてみましょう。(2013.10.6)


このページにはじめてお出でくださる方を意識してもう一度整理しておきたいと思います。
 たとえば、太陽から地球まで光は約8分で届いています。光は1秒間に約30万km進みますから、したがって、8分を秒に直して掛け算すると、太陽から地球までの距離として次の値が得られます。

 30万×480=1億4400万km.

 この数値には太陽の半径は含まれていませんが、これを太陽から地球までの距離とします。
 次に、太陽の周りの地球の公転軌道を円と見なし、この軌道の長さを求めます。これは、地球と太陽の間の距離を半径とし、これを2倍し、さらに3.14を掛けることによって与えられます。すなわち、

 1億4400万×2×3.14=9億0432万km.

 地球はこの距離を1年間掛けて回っています。ここで、まず1年を時間の単位に直すと、

 1年×365×24=8760時間.

 上に求めた軌道の長さをこの値で割ると、

 9億0432万÷8760=10.3233万km/時.

 これによって、地球が太陽の周りを時速10万3233kmの猛スピード運動していることが分かります。
 私が今問題にしているのは地球がこれほどのスピードで運動していながら、どうして「わたし」たちはこの地球を「泉」として静かに暮らすことができているのかということなのです。
 まず第一段階として、この不思議な現象をさまざまなアイデアを使って考えてまいりたいと思います。(2013.10.2)



やはり理解はしていてもとても不思議です。何しろ地球がこのたった今も時速約10万kmの猛スピードで太陽の周りを公転しているのです。私はここで数値を簡単にするために約3230km/時を切り捨てしましたが、考えると新幹線の速度がこの端数の10分の1くらいです。地球はそれほどのスピードで太陽の周りを回っているのです。
 そして、もっと不思議なことがあります。それはこの私がこの地球上でこの現象を実際に体験していることです。たとえば、遊園地などで「コーヒーカップ」に乗ってクルクル回ると、クルッまで行かないうちに脳みそに異常を来たし、気持ちが悪くなります。地球は太陽の周りをこれほどのスピードで回っているのですから、しょっちゅうゲーゲーしていてもいいはずです。ところが、実際はのんびりコーヒーを飲みながら、こうしてキーを叩くことができているではありませんか。やはりとても不思議です。
 考えるともっと不思議なことがあります。それは「地球」を「泉」に対応させ、「わたし」をあの「ヤマメ」に対応させると、この画面の前の「わたし」の集合の一要素にすぎないはずのこの具体的な「私」が、幼少の頃にあの美しい魚を貴い存在として見詰めていたように、とても貴い存在に思えてくることです。なぜでしょう。それはこの「私」もあのヤマメのように非常識な形で、つまり、「私」の存在が時間的空間的に不連続性であればこその「泉」に存在できているからです。
 この非常識な存在をどこに感謝すればいいのでしょう。こう思うと、私は神の前に跪き、そして天を仰ぐのです。今年もそろそろ稲刈りの時期となりました。必然、私は「明治神宮」を「泉」とし、1年掛けて端正に清純に育てた「稲」を「ヤマメ」としてそこに放ちます。1年の存在を神に感謝し、これによって内奥深く湧き出ずる喜びを私の存在の喜びとするためです。もちろん、あなた様の「わたし」とこの喜びを分かち合うことを忘れません。(2013.9.22)


PCの調子が悪く、新たに機器を導入したまでは良かったのですが、私の手違いで、結局、もう一度最初から書き始めることになってしまいました。私にとってはもう一度考え直す機会となりますのでとてもうれしいのですが、しかし、もし退屈に思われましたら、お許しください。
 さて、「泉」というと、もちろん、私たちが暮らしているこの「地球」が頭に浮かびます。まず、「場」としての「宇宙空間」があります。この空間に私たちの銀河系が存在し、その端っこに太陽系があります。地球はその中心に位置する太陽の周りをただひたすら公転運動し続けています。約46億年もの間回り続けているのです。
 ここで、白樺の根元を源として「泉」が湧き出している状態を「モデル」として考えを整理してみましょう。まず、私たちの銀河系の端っこに存在する太陽系に「白樺」を対応させます。すると、そこから太陽を中心として惑星が、まるで、生命が発生するための理想的な環境を実験でもするかのように、離散的に湧き出し、配置されていることに気付きます。そして、太陽が誕生して約46億年後の現在、自然の摂理として「地球」が生命を育む理想的な「泉」であることが実験的に明らかになりました。もちろん、実験者はこの私たちです。
 さいごに、もう少しだけ議論を展開してみましょう。と言っても、この「泉」に住める生命にあの美しく貴い「ヤマメ」を対応させるだけなのです。ああ、何と言うことでしょう、この「泉」はそのメカニズムが私たちにとって今もって不可思議であればこそ「非常識」な存在なのでした。きっとそうなのですね。その神秘が私たち一人ひとりの存在をこれほどに愛おしくさせているのです。(2013.9.15)


小さい頃にした体験はとても貴重です。それこそ理屈なく意識の奥深くにその情景が焼き付き、人それぞれの心を生涯にわたって癒してくれるであろう「美」の原型としての「モデル」になっていることが多いからです。
 たとえば、私が北海道の山奥を自分の丈以上もある笹の茎を肩でタックルしながら探検していた時のこと。この時、私は白樺の根元を源として湧き出す泉を発見しました。それは人の手で造られたものでなければこそ神秘的に「美しく」、それ以来、それは私が出会うさまざまな環境の中に自然の流れとして「真」である「場」を見出すための「基準」となって来ました。もちろん、この「場」は出会う可能性を否定できない点で「常識的」なものと言えます。
 しかし、この小さな「泉」にどうしてあのヤマメが存在していたのか、このことを考えると、私の心の中では問題が「常識」の範囲をはるかに超えているのです。「もしかすると、〜かも知れない」とあらゆる可能性を考え、このたった今もまだ考え、そしてこうして文章として表しているのです。結果的に「要するに、それはこうだ」と断定することができず、つまり私の言葉で納得が行くように説明できず、感覚的に受け入れざるを得ず、この点でその存在は私にとっては今もって「奇跡」であるわけです。
 年を経るにつれて、奇跡は私にその「場」が「究極の美」であることを強要し、こうしてついに、それは私の「美」の原型としての「モデル」になっているのです。
 私は今この「モデル」をイメージすることによって、「えどがわ産業ナビ」の「場」に「泉」を、「意識」に「ヤマメ」を対応させています。すると、この空間が一般的に不可能な常識的にまだ「非常識」な「場」であることを考慮し、にもかかわらず、現実に存在している点で、自然界における「真」としての「究極の美」を実感するのです。(2013.9.8)



九州から四国を経て北海道に渡った祖先の後を継いで、父は農業と林業を営んでいました。私は精神的にも物質的にも恵まれた環境にありました。しかし、父が事業に失敗すると、一転、私たちは今日食う米にも事欠く貧困生活に陥りました。しかし、精神的に充実した環境を経験した後に倒産してくれたことは、私にとっては幸いでした。あの「古き良き時代」を求める手段として「勉強」があると自覚することができたからです。それ以来、私は「がり勉」一筋に勉強をして来ました。
 東京理科大で物理学を勉強している時のことでした。英語を得意とする私は、物理学と英語を生かせる道をつねに模索していました。しかし、周りの同級生たちを見ても、物理ができ、英語ができて当たり前、それを取り柄にすることはできませんでした。悩みました。
 ある時、学食でラーメンを食べていると、どこからともなく「語学はロシア語が一番難しい」と話している声が聞こえて来ました。そうであるなら、これこそが正に私の性格に合っていると、私は神に祈る気持ちでとっさに「これだ」と天を仰ぎました。この時、私は物理学にロシア語を加えた「非常識」な環境を創ることによって、あのヤマメが泳ぐ「泉」を自分の心の中に再現できると直感していました。
 私はすぐに電話帳でソ連大使館の電話番号を調べ、そして当時代々木にあった「日ソ学院(現東京ロシア語学院)」を紹介していただきました。後で分かったことですが、ここは東京外国語大学の先生方が中心となってロシア語の普及を目指して活動している学校でした。私は物理学を勉強しながらロシア語を専門的に勉強しているということで、外語大の飯田規和教授に特別に翻訳の指導を受け、それ以来、理科大、日ソ学院、東京外語大の3つの学校で勉強するチャンスに恵まれました。また、理科大と日ソ学院を卒業すると同時に、飯田教授の計らいで、翻訳家金光不二夫先生の下で翻訳家としての一歩を踏み出すことができました。こうして、ありがたいことに、これまでに35冊もの本を世に送り出すことができました。
 私にとって、貧乏は子供なりに「生きること」を切実に考え、そしてこの環境を脱出するためには勉強以外にないと気付かせてくれる最大のチャンスでした。また、物理学とロシア語を組み合わせたことは、今で言う「異業種同士の交流」の結果そのもの、これによってそれぞれの持ち味がより一層際立ち、このお蔭で今も私の心の「泉」であのヤマメが「美しく」泳いでいるのです。(2013.9.5)



まだ小学6年生の頃、夏休みに北海道の山奥で飯場生活をしていた時のことでした。ある時、熊笹を掻き分けながら、一人であたりを探検していると、突然目の前が開け、小さな広場に出くわしていました。そこに白樺が一本か細く立って、その根元を源に泉が冷たく湧き出していました。泉は三日月の形の流れとなって3,4mほど伸び、実をたわわに実らせた山ブドウの木の根元に消えていました。
 実は、このわずかな流れの中をヤマメが一匹水面に影を映して泳いでいました。私が釣ってもウグイがせいぜいで、ヤマメを釣ったことは一度もありませんでした。手の平に乗るほどの大きさのそれが目の前のわずかな空間を泳いでいたのです。捕まえるにはあまりに神々しく、私は自分の宝物としてそれをただジッと見つめていました。
 当時はこの状況にふさわしい言葉をまだ持っていませんでしたが、一般的に「非常識」である現象が目の前に「常識的」に存在していることは感動を通して感覚的に分かりました。私は今振り返って、もしかすると父の私へのささやかなプレゼントだったのではないかと思うことがあります。しかし、父の意識を自然の一部とすると、必然として、この空間がモデルとなって、自然は一般的な「非常識」を常識化し、そこに究極の「美」を具現するほどの素質を潜在的につねに持っていると思うようになりました。
 私は今このPCを人の心を流れとする「泉」として、自分の意識を存在させています。この現実にこのモデルを対応させると、これまでの「非常識」な現象が新たな可能性として常識的に「真」となりつつあることに納得するのです。(2013.9.4
)



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